鞍馬天狗
江戸日記

1996/09/07 フィルムセンター
昭和14年製作の鞍馬天狗シリーズ二部作前編。ぜひ後編が観たい!!
嵐寛の殺陣とユーモラスなエピソードが見もの。by K. Hattori



 ご存知嵐寛寿郎の十八番・鞍馬天狗。昭和14年製作のこの映画は前後編二部作の前編にあたり、倉田典膳こと鞍馬天狗が大勢の敵に囲まれたところで終わってしまう。ああ、後編が観たい。大井武蔵野館なら前後編通しで上映してくれるだろうに、フィルムセンターではそれも無理な注文か。以前大井武蔵野館で観た嵐寛の『復讐浄瑠璃坂』二部作は、やっぱり前編の最後が敵に包囲された斬り合いで終わり、後編はまったく同じ場面から再開した。たぶんこの映画もそうした展開になるのだろう。

 この映画の鞍馬天狗は江戸と京の連絡役として登場するわけだが、ひょんなことから、偶然出会った侍の暗殺事件に首を突っ込む事になる。真相を探るため町道場に乗り込んだ天狗が、道場破りの真似事をすることになるくだりはユーモラス。息巻く若い侍たちを相手に、鞍馬天狗は余裕しゃくしゃく。「世の中にはまぐれということもある。もし私が勝ったらどうしますかな?」。

 天狗に木刀で次々と打ち据えられ、こうなったからには只で帰すものかと得物を手に手に周囲を取り囲む男たち。天狗の目は、それを待っていたとばかりにきらりと光る。「やはりそうなりますか」。男たちがじりじりと間合いを詰め、天狗の木刀を持つ手に力が入る。次の瞬間、画面には道場の看板を手に長屋に引き返す天狗の姿。省略がみごとで、しかも愉快ではないか。この後の易者とのやり取りも面白い。

 天狗の身辺を探ろうとする中間を脅しつけてカゴに押し込み、「どれ私が送ってやろう。わざわざカゴを使うのだ。私のように親切な男はないぞ」というのも面白かった。鞍馬天狗にはヒーローの貫禄と同時に、皮肉の利いたユーモアのセンスがある。

 映画が作られた昭和14年はノモンハン事件のあった年。戦前の日本は軍部の圧政にあえぐ人々の悲痛な声に満ち満ちていた、と考える人にはお気の毒だが、この映画にはそうした暗さが微塵もない。日本映画が追い詰められるのは昭和18年以降のことで、この頃はまだ戦争もどこか遠い国の出来事だったのでしょう。

 この映画は前後編の長編映画だし、前記したような明るいユーモアと垢抜けた演出は現代でも通用する洗練された感覚と言えます。映画の冒頭、天狗がいきなりカメラに向かってピストルをぶっ放すカットからはじめる演出には度肝を抜かれました。松田定次監督の日活作品。戦前の日活のチャンバラと言えば、伊藤大輔と大河内傳次郎の丹下左膳ものが有名だが、大河内はこの頃東宝に移籍。代りに日活入りしたのが、独立プロを解散した嵐寛と阪妻だったわけです。戦前の日活黄金時だなぁ。

 嵐寛の殺陣は火花が散るような壮絶なもので、終盤の乱闘場面で見せる二刀を持った立ち回りはスピードと迫力があります。闘志をみなぎらせて敵の間を抜けて行く様子は、大きく動いていても隙がない。乱闘中、庭先から縁側まで一瞬で2メートルぐらいジャンプしたのには驚いた。剣戟の神様と異名を取った嵐寛の名人芸です。


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