アパートメント

1996/09/12 シネスイッチ銀座
昔別れた恋人を忘れられない男と、人知れず男を愛し続ける女。
フランス製恋愛映画ヒッチコック風の味わい。by K. Hattori


 今年観た映画の中で、5本の指に入る傑作。この日は何となく体調も良くなかったし、映画を観るコンディションとして万全とは言えなかったんだけど、映画が始まった途端に物語にぐんぐん引き込まれるのを感じた。物語は単純といえば単純なんだけど、数年分の回想シーンを随所に挿入しながら、一連の事件を数日という時間の中にコンパクトに収めた脚本は良くできている。人物毎に視点を切り替える演出も、時に劇的な効果を生んでいる。中盤この視点と時間の切り替えがめまぐるしすぎてストーリーを追い切れなくなりそうになるが、急ぎ足の物語を観客に息せき切って追いかけさせるのも、この映画の演出手口かと思わせるほど。リザ役モニカ・ベルッチにも注目だけど、彼女はコッポラの『ドラキュラ』にも出演していたんだってさ。覚えてないなぁ。

 この映画はヒッチコックだ! ということに、迂闊にも映画の終盤になってようやく気がついた。排水溝の隙間に落ちた鍵を拾う場面は、ヒッチコックの『見知らぬ乗客』でライターを拾う場面と同じ構図なんだよね。ここで「あっヒッチコックだ」と気がついてしまうと、前半の恋人探しも『めまい』を思い出させますし、全体にはらはらどきどきさせる演出スタイルもヒッチコック流。途中で主人公と犯人(?)の視点が入れ替わるのも、ヒッチコックの映画によくあるパターンですね。ホテルの部屋やアパートに忍び込んだ主人公が、女性の生活を覗くというのも、ヒッチコック風のテーマかもしれない。フランスにもヒッチコックの信奉者がいるんですねぇ。映画に国境がないというのは本当だ。

 主人公マックスを演じたヴァンサン・カッセルは、パリ郊外の若者たちを描いた『憎しみ』に主演していた俳優。『憎しみ』で演じた気の短いギスギスした印象の男とは打って変わって、この映画ではエリート商社マンを演じている。『憎しみ』の印象が強すぎて最初は少し違和感があったけど、回想シーンからは彼の印象がひとつにまとまってきた。じつに芝居の幅の広い人ですね。意志の強そうな視線がいいです。彼がリザの服を燃やしてしまう場面は切ないなぁ。

 この映画はロマーヌ・ボーランジェ演ずるアリスを中心に物語が動いているわけだけど、ヘタをすると「すごく嫌な女」か「嫉妬深いサイコ女」になりかねないこの役柄を、ボーランジェは見事に「一途で可愛い女」に仕立て上げた。アリスの行動は確かに馬鹿げているし、気狂いじみて見えるし、愚かなんだけど、それが自分でもわかっていながらそう行動せざるを得ない彼女の気持ちが痛いほど伝わってくるから、僕は彼女を責める気にはなれなかった。舞台の上で立ち往生してしまう彼女が、僕には気の毒でしかたがない。

 サンドリーヌ・キベルラン演じるマックスの婚約者ミュリエルの影が薄いといぶかっていたら、最後の最後に大逆転。かくて物語は振り出しに戻り、何事もなかったかのような日常が戻ってくる。心の傷だけを残して。


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