ケーブルガイ

1996/10/13 丸の内ピカデリー2
ジム・キャリーが好きな人は大喜びする映画だけど……。
とっちつかずの中途半端な映画。by K. Hattori



 近くにいたら面白そうだけど、決して個人的には親しくなりたくない人物のナンバーワン。それがジム・キャリーだ。周囲の温度を確実に3度ぐらいは上げてしまいそうなテンションの高さ、近くに立っていると身の危険を感じそうなオーバーアクション、不必要に大きな声のボリューム、次にどんな行動をするかがまったく予想不可能で支離滅裂な行動パターン。『エース・ベンチュラ』や『マスク』を映画館やビデオで見てケラケラ笑っているうちはいい。しかしこのエキセントリックな人物が画面から飛び出して自分の横に座ったら、それはものすごく迷惑なことになることが目に見えている。

 押しかけ女房という言葉があるが、この映画のジム・キャリーはさながら「押しかけ親友」である。押しかけられたのはマシュー・ブロデリック。まさに、ジム・キャリーに横に居座られてしまった被害者だ。第三者にとっての喜劇は、当人にとって悲劇であることが多い。ブロデリックの境遇は、悲劇すら通り越して悪夢だ。

 偶然知り合った人物に不必要に親切にされ、相手の過度な思い入れを負担に感じて交際を絶とうとすると逆恨みされる。話の骨組みとしては、レイ・リオッタが警官を演じた『不法侵入』という映画などと同じです。人間関係の間合いが計れず、自分の親切が逆に相手にとって迷惑になったり不気味に思われることが理解できないというキャラクターは、いかにも現代的なもの。探せば同じような筋の映画がいくらでも出てきそう。要するに、プロットとしては使い古されたアイディアなんです。

 この映画の脚本は、本来もっとオーソドックスなサスペンスホラーだったのかもしれない。使い古された話の骨組みを、ケーブルテレビの工事業者という今風の道具立てで肉付けし、最後にテレビ漬けの現代社会を批判してみせて一丁上がり。これはこれでひとつの映画にできそうだが、恐ろしく地味な映画になることが目に見えている。ならば出演する俳優で華やかにしよう、とプロデューサーは考える。被害者はマシュー・ブロデリックで決まり。犯人役はコメディアンにしよう。(昔から喜劇人が凶悪犯を演じると、普通の数十倍は恐くなることが、幾多の映画で立証されている。)若手で売れっ子のコメディアンといえばジム・キャリーだ!

 結果としてこのキャスティングは成功でもあり失敗でもあった。ジム・キャリーはコメディアン出身の正統派アクターになることを拒否して、徹頭徹尾コメディアンであることを貫いてしまったのだ。当然映画は正調のサスペンスホラーからは逸脱し、身も凍る恐怖を味わいたい観客は見事に肩透かしを食っただろう。ならば逆にサスペンスホラーのパロディ映画として痛烈なパロディにしてしまう手もあったのだが、制作側も呆気に取られて誰もそれを思い付かなかったらしい。結局、この映画は最初から最後までジム・キャリーの個人芸だけが見ものの中途半端な映画になってしまった。彼の芸だけで入場料分は十分に楽しめるのだが、それだけでは少し寂しい。


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