八つ墓村

1996/11/04 日劇東宝
主演豊川悦史、監督市川崑の新しい金田一耕助シリーズ。
豪華な書き割りの中で小粒な役者衆が動き回る。by K. Hattori



 ミステリー映画としては謎解き部分に工夫がないし、サスペンス映画としてはスリルがない。全体にひどく平板で、物語だけが淡々と進んでゆく印象が残る。旧家の因習と複雑な人間関係、庄屋の家に伝わる恐ろしい伝説、村人たちの記憶に鮮明に残る26年前の惨劇などが、一向に物語に暗い影を落として来る気配がないのは不思議。物語にはある種の清潔感さえ漂っている。登場人物たちのキャラクター造形も薄っぺらで、個性が見えてこない。こうした台詞はすべて、映画に対するけなし文句です。

 ではこの映画が詰まらなかったかというと、決してそんなことがないのが不思議です。逆に僕は映画の終盤あたりで、雰囲気にすっかり呑まれ、ひたすら淡白な映画の語り口調についつい引き込まれていました。これは横溝正史の原作が持つ面白さと、市川崑監督の作り出す映像の力でしょう。

 犯人は自分の犯した連続殺人に「八つ墓明神のたたり」というオカルティックな理由付けをすることで、犯人追及の捜査を撹乱させようとします。こうした犯人の行動原理を説得力ある物にするには、「八つ墓明神のたたり」という村人たちの中にある共通認識を、映画の観客たちも理解できるようにする必要があるのではないでしょうか。「落ち武者惨殺の恨みを一族に負った田治見家の跡取りが次々死んでゆくのは、未だ恨みを晴らせないでいる武者たちの怨霊の仕業だ」というのが犯人の用意したシナリオなのに、この映画はそのあたりの説明をすっ飛ばしている。残ったのは単なる「遺産相続争い」でしかなく、結果としてこの映画全体はひどく薄っぺらで淡白な物語になってしまうのだ。

 主人公金田一耕助を演じる豊川悦史は、期待に反してぜんぜんだめだった。息継ぎせずに長々と台詞を続ける、あのベタベタした喋り方が、いかにも「古畑任三郎で〜す」って感じなんだよね。本人としては新たな金田一の個性をだそうとしたのかもしれないけど、こんな下らないところで工夫しなくてもよろしい。普通にしていれば十分に魅力的なのになぁ。自分の一人よがりな芝居に没入してダメになっちゃったもう一方が浅野ゆう子。この人はひとりで『八つ墓村』のおどろおどろしい雰囲気を作ろうと努力して、全体から完全に浮いている。

 突然田治見家に呼び出された辰弥は、観客たちが属する一般社会と、旧家のしきたりや大家族のしがらみが色濃く残る八つ墓村とを結ぶ一種の案内人です。物語の主人公は金田一だったとしても、語り手は辰弥にしておく必要があるんじゃないのかな。『八つ墓村』ってそういう話でしょ。映画では中心になる視点がどこにあるのかわかりずらく、金田一が物語を引っ張っているようにはとても見えなかった。

 金田一は名探偵ということになっているけど、起こった犯罪について事後検証するだけで、犯罪を未然には防がないんですね。はっきり言うけど、後講釈なんて誰にでもできるぞ。謎解きとしては最低の部類の映画だな。

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