豚と軍艦

1996/11/16 並木座
道路や路地を豚が埋め尽くすクライマックスは壮観。
ちゃんと青春映画になっているところが偉い。by K. Hattori



 横須賀駅から米兵目当ての女たちがどっと繰り出すラストシーンを観て、「国辱」という言葉がふと頭をかすめた。昭和35年の日活映画。監督は今村昌平。ああいう連中って、昔からいたんですね。ヒロインの吉村実子が女たちの横をすり抜け、胸を張って街を離れてゆくエンディングの清々しさは、映画の底に流れる澱んだ重苦しさを跳ね飛ばしてくれる。

 ヤクザたちが米軍基地払い下げの残飯で豚を飼い、それで一攫千金を狙ったところから生まれる喜劇。主演の長門裕之は、そんなヤクザ組織の末端構成員だ。彼はこの新事業が成功した際支払われるという、15万円のボーナスを目当てに豚と格闘する。しかしヤクザと米軍の間に入った日系ブローカーは怪しげだし、予想外の出費に次々と資金は追加投入しなければならないし、この新手のシノギはなかなかうまく進まない。ブローカーが金を握ったまま雲隠れするに至って、ついに計画は頓挫。

 豚でトン挫じゃ洒落にもならない。トンだ災難だ。これでボーナス支給の話もトンと沙汰やみ。金がもらえないなど、主人公たちにとってはトンでもない話なので、こなりゃヤケのヤンパチ「組の豚を盗んで他所に売っぱらっちまおう」と考えた。ところが計画が事前に漏洩し、トンまな主人公は袋叩きにあうは、仲間からは裏切り者扱いされるは……。挙げ句、親分の殺人の尻拭いで警察に突き出されそうになるに及んで、ついに怒りが爆発。

 トラックの荷台に仁王立ちになった主人公が、機関銃をぶっ放すクライマックスはすごい迫力。場所は盛り場・ドブ板通り。煌煌とまたたくネオンに弾着が一直線にダダダッと走り、砕けたガラスやネオン管がバラバラと飛び散る。トラックやダンプの荷台からは豚が一斉に逃げ出し、広い道路は豚だらけ。豚は大通りから狭い路地まで埋めつくし、辺りは豚のジュウタン。豚たちが短い肢をチョコチョコ動かして走り回る姿と壮絶な銃撃戦の対比は、滑稽以外の何物でもない。

 この映画は脇のキャラクターまですごく魅力的なんですが、中でも丹波哲郎演じる主人公の兄貴分がおかしい。胃潰瘍を胃癌だと思い込んで自殺しようとした彼が、いざとなると死にきれず、線路脇でしがみついているのが生命保険会社の看板というバカバカしさ。自分で死ねないからと中国人のギャングに自分殺しを依頼した時の台詞が、「俺は業が強くて死にきれねぇ」ってのもいいね。親分が殺した男の死体を簀巻きにして海に流したら、それが波で押し戻されてきて右往左往というエピソードも傑作だった。この死体が原因で、彼は麻雀をやりながらゲーゲー吐くことになる。このくだりはすごかった。

 主人公の恋人吉村実子が、家族から米兵のオンリーさんになれと強迫されているんだけど、これは現代人の感覚からすると理解に苦しみます。結局この映画に登場する横須賀という街は、一種の米軍の占領状態が続いている。それもこれも、1ドル360円時代だったからこそあり得た話です。今じゃドルの価値も3分の1だもんね。


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