愛と哀しみのボレロ

1996/11/16 銀座文化劇場
冒頭とラストの「ボレロ」は息を呑むほど見事なバレーシーン。
その他はあまり面白いと思えない大味な映画。by K. Hattori



 ダンスシーンは一流だけど、それ以外はひどく退屈な映画。第二次世界大戦をはさんで、フランス、ドイツ、ソビエト、アメリカなど、出身も生い立ちも違う幾組かのカップルを描いた大河ドラマ。彼らは幾度も小さな関わりを持ったりすれ違ったりしながら、最後はクライマックスの赤十字コンサートに集結する。ラヴェルの「ボレロ」が高らかに響き渡り、それまで低調だった物語が一気に高揚してゆく様子を観ながら、僕はこの長ったらしい映画がようやく終ることにホッとしていた。

 ひとりの俳優が親と子の二役を演じるという手法はわかりやすくていい。ユダヤ人カップルが列車から脱出させた子供が成長すると、父親そっくり(同じ役者だから当たり前)というのは単純明快なテクニックとして安心してみていられる。しかしそれもやりすぎると嫌味だ。ジェームズ・カーンやジェラルディン・チャップリンが後半出ずっぱりなのにはウンザリするぞ。

 カーンが楽団の指揮者を演ずるのはご愛敬だが、チャップリンがグラミー賞を何度も受賞した人気歌手という設定は断じて解せない。歌の上手い下手を云々する以前に、彼女にはショウビジネスの舞台でスポットライトを浴びつづけている者が持つべき輝きが欠けている。麻薬と酒と結婚生活の破綻で心身ともにボロボロという設定にしても、やはり解せない。あんな歌手に金払うか? クライマックスの大舞台で主役が張れるか? こんなの許し難い嘘っぱちだぞ。

 許し難いといえば、田舎町から出てきて婚約者に逃げられた娘が、突然エキストラダンサーとして映画に出演しているのも解せない。彼女は見たところ何の訓練も受けていないではないか。窓拭きのバイトをしていたダンス教室で、夜中にレッスンバーに掴まって背筋伸ばしたのが1回あるきりでしょ。それとも学生時代に田舎町でダンス教室に通っていたことがあるのかなぁ。わからん。

 映画は登場人物たちがたどった40年の歳月を、交互に描きながら3時間に圧縮。それぞれのエピソードは細切れで、各エピソードとも「それから○年がたった」の繰り返し。役者たちがどんどん老けて行ったかと思うと突然若返り(子供の話になる)、そこからまた老けてゆく。人物たちの誰にも感情移入する暇がない。

 この映画の製作者たちが何を言いたかったかはよくわかる。彼らは多くの登場人物たちが集合離散する、「フランス」という国の歴史を描きたかったのだ。多くの異邦人たちが訪れ、人と出会い、愛し合い、新しい命を育み、青春を謳歌し、生活を楽しみ、時に疲れ、年老い、死んでゆく、そんな無数の物語をすべて飲み込み消化してしまうフランスの大地。歴史のうねりに動じることなく、人間の歴史を大きく包み込む偉大なフランス。エッフェル塔から全世界に向けて芸術を発信し、世界の目を釘付けにするフランスの気高さ、崇高さ、誇り高さ。

 言いたいことはよくわかる。しかしこの映画はやっぱり僕にとってつまらない。それも動かしようのない事実。


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