アルチバルド・デラクルスの
犯罪的人生

1996/12/18 シャンテ・シネ2
ルイス・ブニュエルが『殺人狂時代』を作ったらこうなった!
ルビッチ風の洒落た殺人コメディー映画。by K. Hattori



 ルイス・ブニュエルの1955年作品。小難しい映画なのかと身構えていたら、見事に肩透かしをくってしまった。観ている途中で気がついたのですが、この映画はチャップリンの『殺人狂時代』へのオマージュです。ルビッチも少し入っているし、ダニー・ケイ主演の『虹をつかむ男』みたいなところもある。もちろん、ヒッチコックの影響だってあるでしょう。いろんな映画からの引用があって、それがとっても楽しい。でも、ベースにあるのはチャップリンです。

 チャップリンの『殺人狂時代』は1947年の作品。金のために、次々女を殺す男の物語です。死刑の執行を前にした主人公が、「人ひとり殺せば殺人だが、何百人も殺せば英雄になれる云々」という台詞を吐いて、見事に赤狩りに引っかかりました。ブニュエルはチャップリンの正反対をやります。主人公の男は資産家で、自らの欲望のために女を次々殺そうとするのですが、結局ひとりも殺せないまま、最後はハッピーエンドを迎える。

 家を訪ねて来た女に飲み物を出す時、ひとつのグラスにはワインを、もうひとつのグラスには水を注ぐ主人公。単に「主人公が下戸だから」こうなるわけですが、これと同じ場面は『殺人狂時代』にもそのまま出てきてます。もちろん、オリジナルはひとつのグラスの中に、毒薬が入っているのですが……。

 こうした断片的な場面だけでは確信できなかったチャップリン映画からの引用が、まざまざと露骨に観客の目の前に提示されるラストシーンは、その露骨さゆえに清々しい感動を与えます。オルゴールを沼に捨て、晴れ晴れとした顔で引き上げてくる主人公が、手に持ったステッキをくるくる回しながら歩く姿は、もろにチャップリン。「ああ、やっぱり!」と得心がゆけば、このあと主人公がヒロインと「偶然再会する」強引さも許せてしまう。愛する女と腕を組み、観客に背を向けてまっすぐ歩き去る主人公の後ろ姿で終わるのも、チャップリン映画にはよくあるパターンですからね。

 主人公が刑事の前で自分の罪深い人生を懺悔するのは、ルビッチの傑作『天国は待ってくれる』から盗んだものです。オルゴールの音色が主人公の妄想を呼び起こすのは、『虹をつかむ男』の「ポケタポケタポケタ」のバリエーションでしょう。(こうした古典からの引用作品が、さらに別の映画に引用されているのを発見する喜びもある。主人公が妄想の中で妻を殺し、そこから現実に戻ってくるギャグは、後にジョージ・A・ロメロのキング映画『クリープ・ショウ』にも登場しました。)

 『アルチバルド・デラクルスの犯罪的人生』のオリジナリティーは、主人公の殺人衝動の原因を、彼の少年時代の体験に結び付けたことです。流れ弾で死んだ若い家庭教師の、すらりと伸びた脚のイメージが何度も登場する。女性の脚や下着に対するフェティッシュな欲望が、この男の殺人願望につながってるのです。40年前の映画でセックス殺人を描いているのは、やはりすごいよね。


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