カルネ

1997/02/22 シネマ・セレサ
時折画面に挿入される役に立たない警句がブラックな笑いを生む。
中年男の近親相姦的幻想の世界を描いた映画。by K. Hattori



 上映時間が40分しかない映画なのに、家でモタモタしていて映画の冒頭10分ほどを観逃してしまった。次に観る映画が控えていたので、3本立ての映画が一巡してからこの映画の最初の方だけ観直す時間がなかったのは残念。結構人をくった面白い映画なんですよ。今度また機会があれば、ぜひとも全編を通しで観たい映画です。

 肉屋を営む主人公の男の、娘に対する近親相姦的な愛情がテーマになってます。独特の暗い色調や、唐突なカメラの移動、男の内面独白などを使って、父親の姿をかなりグロテスクに描いてます。グロテスクを推し進めると、どことなくコミカルになってくる。ひとつひとつのカットに取りたてて目を見張るものはないんですが、カットとカット、シーンとシーンのつなぎが大胆で、それがスピード感を生んでいる。エピソードからエピソードへの移動が大股で一足飛びなんです。細部まで作り込まれたディテールとの対比もあって、シュールレアリズム絵画のようなユーモアがあります。

 言葉をしゃべらない娘と、動きつづける父親の対比が面白い。この映画の中で、娘は静止した「点」として存在してます。その周りを、父親がグルグル回りつづけている。基本的にすべてが父親の独り芝居、独り相撲なんですよね。メッセージが全部一方通行で、意志の疎通というものがない。父娘の会話シーンで、二人の視線がカメラフレームの中に入っていないことも象徴的です。主人公は自分の思い描いた幻想の世界の中で生きている。それがテレビ活劇のマッチョなヒーローと二重映しになっている。滑稽なんです。

 周囲との意志の疎通がないから、勘違いで人を殺しそうになってしまったりもする。主人公の内側で完結している衝動的な殺意が外に噴出した結果、全然関係ないホームレスが半殺しの目にあってしまうわけです。あそこで「よくも娘に手を出しやがったな」と一言悪態をついていれば、そこからコミュニケーションが発生して人違いだってことがその場でわかったんだけどなぁ。

 この殺人未遂のくだりは、いろいろと考えさせられてしまう。例えば主人公を止めようとする男の台詞が「やめろ、人違いだ!」というのも間抜けだ。人違いでなければ、殺しちゃってもいいのかね。まぁこの男は「娘さんがそこの空き地で男と抱き合ってたぜ」と言って、父親をけしかけた張本人なんですけどね。娘と抱き合ってた張本人が、制止する男の後ろでおろおろしているのも可笑しかった。この青年は、人違いのおかげで命拾いしました。まさに危機一髪でしたなぁ。

 刑務所に入った主人公に、弁護士が「家と店を売って保証するんだ。彼は君のせいで一生働けなくなったんだから」と説明します。でもさ、殺されかけたのはホームレスじゃないですか。もともと働いていない人に対して休業保証しなければならないやりきれなさ。もちろん有無を言わせずナイフで切りつけた主人公が全面的に悪いんですが、本人にしてはちょっとやりきれないでしょう。



ホームページ
ホームページへ