魔女の宅急便

1997/04/07 高田馬場東映パラス
13歳の魔女キキの旅立ちと成長を描く、宮崎駿の1989年作品。
飛行シーンは文句なしに一流なんだけどねぇ。by K. Hattori



 角野栄子の原作を宮崎駿が脚色監督したアニメーション映画。原作つきとは言いながら、中身は完全に宮崎駿タッチのファンタジーになっている。特に何度も登場する主人公キキの飛行シーンは、どれを見ても素晴らしい。空を渡って行く風の音、風の匂い、空気の質感、温度や湿度まで伝わってくるような、一流のアニメーション技術。宮崎駿は普通の人が目にすることのできない「空気」というものを、確実に絵にすることが出来る希有な能力の持ち主なのだ。数々の飛行シーンは、観客に純粋な快感をもたらすはず。それはとても言葉に表わせない。

 ただしお話の方はいかにもパターン通りで飛躍がなく、「次はどうなるのだろう」と手に汗握らせるドキドキに欠けると思う。自信満々の少女の旅立ち、苦しいながらも順調な新生活のスタート、人間の気持ちの温かさと冷たさ、失意と絶望、そこからの再生。物差しで計ったように、ぴったりと型通りでつまらないなぁ。もちろん型通りがいけないと言っているわけではなく、その型の中でどれだけ物語が魅力的に作られているかが問題なんだけど、この映画はその魅力が薄いんだよね。生活のディテールはよく描けているし、主人公キキのキャラクターも立っている。しかし背景になっている町の情景や、周囲の人物の魅力がいまひとつ伝わってこない。画面に映る一草一木にまで生命を感じさせた『となりのトトロ』に比べると、この映画の舞台装置はまるで借り物のような生彩のなさなのだ。世界が生き生きしていないんです。

 キキの両親はよく描けている。特に父親はいい。旅立ちを決めた娘の重みを腕に感じながら、高々と持ち上げる場面など、見ていて涙が出そうだった。満月の夜に旅立つキキを見送る近所の人たちも、なんと生き生きと描けていることか。でも彼女が訪れた海沿いの町の住人たちは、みんな面白味がないんだよね。お腹の大きいパン屋のおかみさんが、少々いいと思えるぐらい。人力飛行機を作ろうとする少年も、型通りの描かれ方から一歩も外に出ていない。なんとも不思議なのだ。ヨーロッパ風の町並みの設計は素敵だし、素晴らしいと思う。でもそこに暮らしている人たちに、僕は感情移入できない。

 キキが魔法の力を失ってしまう原因や、それが回復するきっかけが何なのかが明確でないことも、後半の物語を単なる「おはなし」にしてしまった原因かもしれません。物語に内在するある種の必然性が、ここには希薄なのです。魔法の消滅と再生を、絵描きの創作衝動になぞらえるエピソードは、アニメーション作家である宮崎駿にとっては必然性のあるものかもしれない。でも、それが観客全員に納得できるものになっていたかどうかは疑問でしょう。少なくとも僕は、このエピソードがいささかとんちんかんなものに思えました。

 劇中で流れるユーミンの「ルージュの伝言」は、ずいぶんと違和感があったなぁ。ユーミンとヨーロッパは合わないんじゃないのかね。エンディングの曲はある意味ではまっていて、決して悪くないと思うんですけどね。


ホームページ
ホームページへ