椿三十郎

1997/04/14 並木座
個人的にはこの映画こそ黒澤映画のベストだと確信している。
ハラハラドキドキの傑作娯楽時代劇。by K. Hattori



 何度観ても面白い、黒澤明のベスト作品。95分の上映時間の中で、無駄な時間や冗長な場面がひとつもない。キャラクターは善玉悪玉すべてが魅力的で生き生きしているし、話の組み立ても巧みで、テーマも明確。前年の作品『用心棒』と同じ主人公が登場する、黒澤にしては珍しいシリーズ映画だが、独立した映画としても前作以上に楽しめるし、完成度も前作をしのいでいると思う。(黒澤にはもうひとつだけ、『続姿三四郎』というシリーズ映画があるが、こちらは評判が悪い。)僕は『用心棒』より『椿三十郎』を先に観ているのだが、面白さはどちらを先に観ようと変わらない。最後の三十郎と室戸の一騎打ちは、映画史に残るアクション場面だろう。

 『用心棒』に登場する三十郎は、ほんの気まぐれから宿場町のやくざを一掃する浪人だ。どんな危険な目に合おうとも、痛めつけられ苦しもうとも、それは彼ひとりの考えで始まったことであり、責任は彼ひとりにある。だが『椿三十郎』は違う。彼が小藩の内紛に巻き込まれたのは、森の中の社殿で血気にはやる若侍たちの密議を聞いたからであり、世の中の裏と表を知らぬ未熟な侍たちに危うさをおぼえて助言したからであり、侍たちの一本気な情熱にほだされたからだ。自分ひとりですべてを取り仕切り、まんまと成功する『用心棒』に比べると、『椿三十郎』の三船敏郎はぐっと人間くさい。助け出した奥方にたしなめられて言葉に詰まる場面など、『用心棒』の桑畑三十郎には見られないしおらしさだ。

 敵役室戸半兵衛との対比も、『用心棒』で同じ仲代達矢が演じた卯之助との対比より、ずっと明確になっている。三十郎と半兵衛はひとつのカードの裏と表なのだ。組織や人に使われることを嫌い、自分ひとりの才覚で生きているふたりは、立場や考え方こそ違え行動は生き写しだ。ふたりは相手の中に自分と同じ匂いを嗅ぎ、兄弟か親友のように酒を酌み交わす。ほとんど相手のことを知らないまま、三十郎は半兵衛を「虎だ」と見抜き、半兵衛は三十郎に胸の内を打ち明ける。三十郎に裏切られた半兵衛の怒りは、胸襟を開いた唯一の仲間に裏切られた気持ちから発したものに他ならない。

 三十郎と半兵衛の違いは、いざという時に自分の利益と安全を取るか、他人のために何かするかの違いだ。絶体絶命のピンチになった時、三十郎は若い侍たちのために最後までがんばりぬき、半兵衛は「これまでですな」と家老を見捨てる。自分に益がないと見て取れば、さっさと人間を切り捨てる彼のドライさも、人間の一断面を表わしていると言える。だが三十郎的な義理人情と惻隠の情も、人間なら誰しも持っているものだろう。人間の持つ心の二面性を、二人の人物に拡大投影する手法は、黒澤明が得意とする作劇術だ。

 三船敏郎の立ち回りはすごいが、何度も見ているとはじめの衝撃は薄れる。リアルな立ち回りは長持ちしないらしい。最後の一騎打ちは西部劇風に様式化されているからこそ、繰り返しの鑑賞に堪えるのだ。


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