ロマンス

1997/05/04 有楽町朝日ホール
(日映協フィルムフェスティバル'97)
子供のようにはしゃぐ大人たちは、分別がある分だけ深く傷つく。
玉置浩二、ラサール石井、水島かおり主演。by K. Hattori



 面白い映画だった。台本なしに場面ごとの設定だけを用意し、リハーサルを繰り返して、役者と演出が共同作業で場面を作っていったようです。したがって台詞は完全なアドリブではなく練りに練られたものなのでしょうが、役者自身の中から出てきた言葉だからすべてが生々しい。ただし普通の映画の台詞より、会話の速度がかなり速い。これは映画のテンポというより、舞台劇、しかも小芝居のテンポに近いんじゃないでしょうか。多少の違和感がないわけでもないのですが、この前のめりのスピード感が、大人が無理してはしゃいでいる様子をうまく表現しているようにも感じます。

 観ていて一番切なかったのは、主人公たち3人が別荘近くの丘で最後にUFOを呼ぼうとする場面。3人の関係がもう終っていることを3人ともわかっているのに、精一杯幸せな関係にしがみついている様子が悲しい。これは単に幸せを演じているわけではない。戻ってこない時間を、無理矢理取り戻そうとしているのです。それが無駄と知りつつ、それでも人はそうせざるを得ない。UFOを呼ぶという行為が、そんな3人の状況にオーバーラップします。どうせ来ないUFOを、来ると信じて丘の上で戯れる3人。来なくてもいい、来ないだろう、でも来てほしい、来るところをこの目で見てみたい。この場面のUFOは、3人の不思議な関係の象徴なのです。

 夫がありながら、別の男とも関係を持つ奔放な霧子。霧子をはさんで、市役所勤めの安西と、不動産業者の柴田が向き合う。話を要約してしまえば、霧子に翻弄されるふたりの男の物語ってことだけど、三者三様のキャラクターが濃密に描かれているから、単純に「翻弄」という言葉には置き換えられない関係がそこに見えてしまう。翻弄という言葉に付きまとう「愚かしさ」が、ここには見えてこないのです。すごく同情してしまうんだよね。

 恋をすると、とっても幸せになる反面、すごく不幸にもなる。幸せな時間は長くは続かない。いつかこの関係が終ってしまうだろうという不安や、相手の心が自分から離れてしまうのではないかという恐怖が生まれる。大人になると、そんな恋に身を委ねてしまうことが恐くて、自分を少し覚めた目でながめたりする。ふわふわとした中途半端な距離の中に自分を置いて、それで満足しようと努力する。この映画に出てくる3人の距離感は、そんな「他人を傷付けない距離」なんです。友達だけど、友達じゃない。恋人だけど、恋人じゃない。そんな関係。

 霧子はそんな関係が嫌なのかもしれない。少なくともそこに物足りなさは感じているのでしょう。でもぴったりと側に人がいるのも嫌なんです。矛盾しているんです。自由にさせておけば擦り寄ってくるし、縛ろうとすれば逃げ出す。多分本人も、自分がどうしたいのかわかっていないんでしょうね。そんな霧子の様子は男から見れば「女そのもの」なんですけど、女性の目からは、また別の見方があるのかもしれない。僕は柴田と安西にひどく同情したんだけど、女性は霧子に同情するのかな。


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