(ディレクターズ・カット、完全版)

1997/05/05 有楽町朝日ホール
(日映協フィルムフェスティバル'97)
松尾嘉代と岡田真澄の濃厚な濡れ場が恐いくらいリアル。
1983年製作の映画を再編集した完全版。by K. Hattori



 谷崎潤一郎の原作は過去に3回映画化されている。最初は昭和34年に市川崑監督が大映で撮ったもの。2度目は昭和49年・日活製作の神代辰巳作品。この映画は昭和58年(今から14年前)に製作された3度目の映画化作品『鍵(THE KEY)』を、木俣尭喬監督が自ら編集し直した「完全版」。タイトルも原作どおりになり、製作年も改めて「1997年作品」となった。僕はオリジナル版を観ていないので、どこがどう変わったのかよくわからない。完全版と銘打つわりには、オープニングなんかはチャチなんじゃないかと思うけど……。

 映画自体はすごく面白いです。初老の大学教授が男性としての機能の衰えを自覚しつつ、妻の肉体に対する執着だけがますます燃え盛って行くアンバランス。妻が娘の婚約者と通じていることを知っていながら、それによって生まれる己の嫉妬心をばねに、また猛然と妻の肉体に挑みかかる様子は、滑稽であり不気味です。主人公夫婦と娘とその婚約者の関係を全員が知っていて、誰もそれを悪徳として責めないただれた家族関係。どろどろとした肉欲の地獄をさまよいながら、物語が徐々に高揚し、最後は至福の中に幕を閉じるというのが素晴らしい。

 卒中で倒れた主人公が、不自由な体をねじくりながら、妻の着物のすそから手を突っ込む場面は恐かった。ぼんやりとした意識の中で性欲だけが肥大し、他の一切を捨てても妻の肉体に固執する主人公の姿は、男の愚かしさと哀れさをすべて体現しているように思えてなりません。最後に妻のヌードを写真に収めながら、幸福そうに死んで行くのも悲しいよなぁ。でもまぁこれはこれで、彼にとってはすごく幸せな死に方だったんだと思います。

 娘の婚約者と逢い引きを重ねる妻。主人公の部下であり、娘と婚約していながらその母親とも関係を続ける婚約者。婚約者が自分の母親と関係していることを知りながらも、それを意に介さない娘。すべてを知りつつ、何事もなく振る舞う主人公。乱れきった一家の中で、主人公の病を機に浮かび上がってくるのが、じつは夫婦の愛情だったりするのが面白い。主人公は性欲のとりこですが、それはひたすら妻にのみ向けられている。妻も夫を深く愛していたのでしょう。夫の前で着物を脱いでポーズをとるようすは、まるで女神のようでした。

 原作では主人公のつけている日記が、物語の推進役として大きな意味を持っているのですが、映画では脇に追いやられています。日記ってもの自体が、あまり映画向きの素材じゃないんでしょうね。この映画で言う「鍵」は日記帳の鍵ではなく、主人公の書斎にある金庫の鍵です。金庫の中には、妻との房事を事細かに綴った日記帳、怪しげな精力剤のアンプルと注射器、妻の裸体を撮るのに使うポラロイドカメラなどが入っている。金庫は主人公の性に対する執着や欲望を象徴する存在ですが、物語の主人公というわけではありません。金庫の中身を中心に、主人公・妻・娘が結びついている様子がもう少し色濃くなると、もう少しタイトルが生きてきたと思います。


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