失楽園

1997/05/11 丸の内東映
渡辺淳一のベストセラーを『(ハル)』の森田芳光が映画化。
主演は役所広司と黒木瞳。劇場は満員。by K. Hattori



 初日の夕方映画館に行ったら、「只今満席立ち見」の掲示にも関わらず、なお続々と行列が長くなる大盛況。この作品が初夏から夏にかけての、邦画の目玉になることはまず間違いなさそうです。初日はあきらめて二日目に観てきました。原作は日経新聞朝刊に連載されていた渡辺淳一の同名小説。大胆な性描写が連載中から話題になっていましたが、かく言う僕も、会社で取っていた日経で、まずこの小説を楽しみにしてたもんです。映画化は連載が終了する前に決まりましたが、役所広司と黒木瞳というキャスティングは、よかったのか悪かったのか判断がつきかねます。小説のイメージだと、久木はもっと年配でなければならないんだけど。役所は若いよ。

 互いに家庭を持った男女が巡り合い、愛し合い、最後は心中する物語です。愛し合いながら共に生きるのではなく、愛しているからこそ、その愛を永久不変の中に閉じ込めるために死を選ぶ二人。近松物の心中のように、周囲から責められ、死に押し流されて行くわけではありません。気持ちとしては、ルコントの『髪結いの亭主』でヒロインが濁流に身を投げた気分に近いのでしょう。愛の絶頂で死ねれば、その愛は永遠かもしれませんね。

 原作では昭和初期の有名な阿部定事件を引き合いに出しながら、愛するがゆえに死を選ぶ恋人同士の心情を描いていました。精神的な結びつきと、肉体の結びつきが完全に一致した男女の恋は、気持ちや肉体的な衰えが来る前に、どこかで凍結されなければならない。原作の主人公二人は、阿部定事件に多大な共感を示しつつ、自分たちもそれに倣って死を選びます。主人公たちは互いの性がどんどん深まって行く中で、性の喜びの向こう側に死を意識しはじめる。性と死の強い結びつきが、小説「失楽園」のテーマになっています。

 映画では阿部定のエピソードがそっくり割愛されてしまった結果、主人公たち二人がなぜ死を意識しはじめたのかという動機づけが弱くなっていると思う。原作では最初に「二人で死ぬ」という結末がかなり強く提示されており、そのための障害となる家庭や仕事や人間関係が整理されて行くという展開だ。二人のセックスの主導権が久木から凛子に移り、凛子が死を望むのに引きずられるように、久木が心中に押し流されて行く。僕は原作を読んで、そのあたりがすごく恐いなと感じていました。映画の主人公二人は、家庭を失い、仕事を失い、一般社会からまったく切り離された時点で、はじめて死を意識したように見える。これでは昔ながらの心中物ではないか。原作ともっともニュアンスが変わった部分だろう。

 話題のセックス描写ですが、原作に比べるとずいぶんと淡白になっている。阿部定をカットした分、二人の精神的・肉体的な結びつきが何事にも勝るという説明を、セックスだけで描き切る必要があったのだが、映画にはそうした説得力がなかった。むしろ黒木瞳が乗る列車に役所広司が飛び乗る部分や、旅行前後の描写など、セックス以外の描写に光るものがあったと思う。


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