トレインスポッティング

1997/05/15 シネマライズ
ダニー・ボイルが麻薬中毒者の日常を抜群のテンポで軽快に描く。
登場人物がどれも魅力的で生き生きしている。by K. Hattori



 上映開始から半年もたってから、のこのこ観に出かけてきました。そろそろ上映も終りだと判断しての警戒行動ですが、映画が終って劇場から出てきたら、まだ階段に行列ができてた。当分の間、この映画の上映は続きそう。すごい動員力ですね。2度3度観る人もいるのかな。この映画を観て驚いたのは、ダニー・ボイル監督の間口の広さ。前作『シャロウ・グレイブ』が「静」の映画だとすれば、『トレインスポッティング』は「動」の映画。導入部からものすごいスピード感で疾走し、そのままラストまで駆け込むテンポは、普通の映画2本分ぐらいの充実感を観客に与えてくれます。

 麻薬中毒の話です。映画の冒頭で堂々と麻薬の効用効果を連呼し、仕事も女も名誉もいらない、僕たち麻薬があればそれでハッピー!と高らかに宣言するのには驚いた。薬物中毒の人間が虚勢を張っているわけではなく、本当に「ヘロインてよさそうだなぁ」と観客に思わせる、享楽的で楽天的な描写が続きます。この時点で既に「こんな映画観たことない」と思いましたもんね。もちろん映画を最後まで観れば、これが薬物礼賛映画でないことは明らかなんだけど……。

 登場人物全員がじつに生き生きとしていて、類型的なステレオタイプの人物像に落ちていないのがいい。人物がごく少数に限定されていた『シャロウ・グレイブ』に比べ、数倍の人間が登場するのだが、主人公と周辺の友人たち、ガールフレンド、家族、端役のひとりひとりまで、細やかに目が行き届いている感じがした。

 舞台はスコットランド。主人公たちもスコットランド人。日本人から見るとスコットランドもイギリスも同じだけど、本人たちに言わせれば、スコットランド人にはスコットランド人としての誇りがあるらしい。主人公がイギリスとスコットランドの関係について毒づくところや、友人の007マニアが同じスコットランド出身のショーン・コネリーが大好きだという描写が面白かった。

 映画の中に麻薬中毒者が出てくる例は多いけど、ほとんどの場合それは、非中毒者の視線から否定的に描かれてきた。でもそれは、非中毒者が持つ「麻薬中毒者」のステレオタイプなイメージでしかない。この映画では視点を中毒者の側に置くことで、麻薬の魅力も危険性も醜悪さも、すべてが等身大のリアリティを持って迫ってくる。映画の中盤以降、肌に突き刺さるような恐ろしさがひしひしと伝わってくるのだ。

 主人公たちの溜まり場で赤ん坊が死んでしまうエピソードは、観客に強烈な印象を残すはずだ。周囲の大人たちが麻薬に熱中しているうちに、赤ん坊は餓死している。(別の理由かもしれないけど、とにかく死んでいる。)呆然と死んだ赤ん坊を見つめている彼らが次にしたことは、その現実から逃れるため自らに麻薬を打つことだった。子供の母親までそれに加わる。このどうしようもない愚かさの循環は、第三者の視点からは描き切れないでしょう。ホントに恐くて、そして面白い映画です。


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