スリーパーズ

1997/05/25 スカラ座
復讐劇としても法廷ドラマとしても少年の日の回顧譚としても中途半端。
復讐のもととなったレイプ描写の甘さが最大の欠点。by K. Hattori



 いたずら4人組が少年院で看守たちにレイプされ、その復讐をする話。話は面白そうだし、出演者も豪華なのに、この生ぬるい仕上がりには納得できない。普通はこの10倍ぐらい面白くなるはずだぞ。要するに演出の勘所がずれていることと、観客の無言の了承を前提として作りすぎているのです。ナレーションを多用した筋運びも、観客が物語に入り込むのを妨げていると思う。

 まず最大の欠点は、少年たちがレイプされる描写が弱いため、その後の復讐劇を正当化しきれていない点。少年がレイプされるエピソードなら、この映画よりバーブラ・ストライサンドが撮った『サウス・キャロライナ/愛と追憶の彼方』の方が衝撃的だったし、見せ方も上手いと思う。あの映画には、暴力に屈服せねばならなかった少年の苦痛と恥辱が、観客の心臓にみしみし食い込んでくるような迫力があった。『スリーパーズ』からは、少年たちの苦痛がほとんど伝わってこない。それはなぜか? 作り手側には「レイプされる痛み」より、「男が男を犯すおぞましさ」の方が先に立ってしまったからなのだと思う。作る側が、対象から目を背けているのです。

 この映画のレイプ場面は、観客に向って「恐ろしいですよね」「おぞましいでしょ」「ああ、嫌な話だよね」ということしか伝えていない。ここからは、犯される少年たちの肉体的な苦痛や、暴力にさらされて誰にも助けを求められない恐怖と孤独、被害を誰にも訴えられないという屈辱感が見えてこない。そんなことは、この映画の作り手たちにとって、自明のことだから説明なんて不要だとでも言いたげです。この映画では、レイプという行為が単なる記号になっている。レイプした「加害者」に対する憎悪より、レイプという「行為」に対する憎悪の方が大きくなっている。レイプシーンで直接的に行為を見せず、看守たちの声、少年の表情、長い地下室の廊下をカメラが移動して行くことだけでそれを表現するのは、やはり難しいと思う。

 第二の欠点は、神父が法廷で偽証する場面の弱さ。看守のひとりが、自分の不利になる証言を苦しみ抜いた末に告白したのに比べると、デ・ニーロ扮する神父の証言には緊張感がない。あの神父は、もっと苦しんで証言台に座っているのではないか。聖書に手を置いて、神の名のもとに真実のみを証言すると誓った神父が、なぜああも無造作に偽証することが可能なのだろう。神父の内面的葛藤が、この映画からまったく読み取れない。必然的に、「神父が証人になるか否か」「どんな証言をするか」というサスペンスが盛り上がらなかった。

 復讐の対象となる看守のうち、ひとりはかつてレイプされた少年たちに殺され、ひとりは法廷で自分の罪を告白して社会的に抹殺され、ひとりはギャングに撃ち殺され、ひとりは警察に逮捕される。後半は法廷ドラマのはずなのに、法廷外で決着がついてしまうケースが2件もあったのでは、映画を観ている方は興醒めする。やはりすべてを法廷で決着させてほしかった。


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