ライアー ライアー

1997/06/09 ヤマハホール
(The Ichiban試写会)
僕には珍しく2度目の鑑賞。2度見てもギャグの面白さが褪せない。
ジム・キャリーが嫌いな人にも観てほしい映画。by K. Hattori



 僕は同じ映画を2度3度と観ないタイプで、そんな時間があるなら別の映画を1本観た方がいいといつも思っています。でも今年は既に『マーズ・アタック!』と『イングリッシュ・ペイシェント』を2回ずつ観ているし、今回は『ライアー ライアー』も2回目の鑑賞。コメディ作品はギャグの意外性が命だから、繰り返しの鑑賞にたえられない場合が多いのですが、この映画は2度観ても最初と同じように面白い。これは主演のジム・キャリーの繰り出すギャグが、かなり完成度の高い芸になっているからでしょう。監督の演出も、キャリーの芸をのびのびと画面に展開させることに成功しています。

 自分の演出能力を過信した凡庸な監督だと、こうした芸人の持ち味をカットで細かく切り刻んで殺してしまうんですが、この映画の監督トム・シャドヤックはそんな下手なことはしない。最後のNG集を見てもわかりますが、撮影現場では個々のアクションに対して、ジム・キャリーのアドリブがかなり許されていたようです。

 キャリーの芝居はしばしば本筋から脱線してはてしなくおかしな方向に向ってしまう。それは猛烈に面白いギャグなのですが、それをそのまま本編に入れてしまうと、物語が解体してしまうような強烈さなんです。キャリーの映画に限らず、アメリカのコメディ映画ではこうした面白いカットを欲張って本編に入れた結果、全体がぶち壊しになっている例がかなりある。『ライアー ライアー』の本編で使われているカットは、物語が成り立たなくなるギリギリの線で踏みとどまっている。このあたりの加減が、じつにうまい映画だと思いました。

 ギャグは役者任せとは言え、それ以外の部分についてはきちんと芝居を組み立てて演出してます。だから、この映画は単なるギャグだけのギャグ映画になっていない。僕は最初にこれを観たときラストでホロリときましたが、今回改めて観ても、やっぱり同じ場面でホロリときた。観客の感情のツボをきちんと刺激できるのは、監督の演出力の高さを物語っているし、笑いと泣きの配合比もうまく考えられている。シャドヤック監督の前作『ナッティ・プロフェッサー/クランプ教授の場合』も素敵な映画だったけど、今回の『ライアー ライアー』に比べると、ずっと湿っぽい映画に見えます。エディ・マーフィという役者の個性が影響しているのかもしれないけど……。

 ジム・キャリーのギャグを他の人がやってもあまり面白くない、ということを、そのままギャグにしてしまう部分があります。モーラ・タイニーが「魔法の手」の真似をして、「私がやっても面白くないけど」と言い訳する場面は、観客席から笑い声が起きてました。この場面はラストシーンへの複線にもなっているんですけど、「ジム・キャリーのものまね」をギャグにする感覚ってのは、ひねりがあって面白いです。

 「野茂はすっかりメジャーリーグに定着したんだなぁ」と日本人を感激させる会話が出てきます。これは日本市場を意識して媚びているわけじゃないよね。


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