続・悪名

1997/08/10 銀座シネパトス2
昭和36年製作のシリーズ第2作。ここでモートルの貞は死ぬ。
やくざの視点からの戦争批判が面白い。by K. Hattori



 銀座シネパトスで勝新太郎の追悼特集が始まったのはいいけれど、どうして最初が『続・悪名』なんでしょう。この映画は『悪名』の続編で、登場する人物やエピソードなど、前作を観ていないとわかりにくい点が多すぎます。9月から銀座テアトル西友で始まる「カツライス特集」では、ちゃんと『悪名』がプログラムに組まれているんだけどな……。ちょっと不親切に感じました。

 『悪名』は勝新太郎をスターにした人気シリーズであることに間違いはないのですが、魅力の過半は、相棒モートルの貞(3作目以降は清次)を演じた田宮二郎にあると思う。勝新演ずる昔気質のやくざ朝吉も面白い男なのですが、これだけでは物語の間口が狭くなる。「やくざ映画」という枠組みの中で、物語がこじんまりとまとまってしまうのです。こうしたジャンル映画としての枠組みをぶち壊すのが、モートルの貞が持っている軽やかさ。彼はやくざ社会の旧弊にとらわれることなく、ひたすら朝吉親分のために命を懸ける。朝吉の求心力とモートルの貞の遠心力がかみ合って物語にダイナミズムを生み、それがこの映画を滅法面白くしているのです。

 『続・悪名』は前作『悪名』の後日譚で、半分は前作の後始末みたいな話です。物語の最後に主人公の朝吉は兵隊に行き、モートルの貞は朝吉の身代わりとして殺されます。蛇の目傘を真俯瞰の構図で捕えたショットから、貞が出し抜けに刺され、雨に濡れた路面に鮮血が広がって行く名場面。貞に何も喋らせることなく、そのまま殺してしまうことで、作り手側はやくざの非人間性や理不尽さを描こうとしたのでしょう。この情感たっぷりの場面が、その後の戦場の場面で生きてきます。

 出征前夜、朝吉と貞がしんみりと語り合うくだりは、男同士の絆をたっぷりと芝居で見せる名場面。「ワイの命はお国に捧げたのや」と言う朝吉に、貞は「生きて帰って凱旋しておくなはれ」と言う。涙ぐみながら無言で手を伸ばし、がっちりと手を握り合う男二人。一歩間違えるとホモみたいですが、ここでは崇高な男同士の友情と絆をうたいあげている。貞の死後、戦争に行った朝吉は「こんな大きな出入りの中では俺たちは虫けらだ」と言いますが、「戦争=国同士の縄張り争い=巨大な出入り」というとらえ方は、朝吉と貞の別れの場面で貞が言い出したこと。戦争という巨大な暴力に比べれば、残酷で凄惨に見えたやくざの出入りが、なんとも人間味豊かな情景に思えてくる。意地の張り合い、命の取り合い、殺し合いが日常であるやくざの視点から、痛烈な戦争批判が飛び出してくる面白さと意外さ。

 戦場の朝吉親分は『兵隊やくざ』の大宮貴三郎みたいになっちゃいますが、製作年を調べると『兵隊やくざ』は昭和40年のスタート。この年『悪名』は既に10作目の『悪名幟』が作られてます。『続・悪名』の続編『新・悪名』は昭和37年製作で、朝吉親分はもう復員してきている。「やくざから見た戦場」という視点は、『悪名』ではほとんど描かれなかったようです。


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