キャッツ・アイ

1997/08/14 東宝第1試写室
脚本の視点が定まらない中途半端な映画。主人公は誰だ?
原作を食い荒らした林海象監督の愚行。by K. Hattori



 同時上映の『シャ乱Qの演歌の花道』が「平成版クレージーキャッツ映画」だとすれば、この映画は「狂ったネコたち」の映画です。同じ原作を使ったテレビアニメに敬意をはらい、杏里にテーマ曲を歌わせるところは松竹の『ジャングル大帝』よりましですが、中身がこれでは困ってしまう。「キャッツ・アイ」というのは「猫の目」という意味だと思うんですが、ここに登場する怪盗キャッツ・アイは、でき損ないのキャットウーマン。林海象監督は、『バットマン』シリーズが好きみたいですね。キャッツ・アイたちが美術館(博物館?)に侵入するとき使用するハイテク機器はもろに『バットマン』のもじりだし、逃走するとき突然黒塗りの車が登場したときは、「おお、バットモービルじゃん」と思ってしまいました。

 まがりなりにも「正義の味方」をやっているバットマンと違い、キャッツ・アイは人様のものを不法に奪う泥棒稼業。それなりに後ろめたさや、彼女たちなりの哲学が見えないと、この物語にはノレません。一応、盗まれた父親の絵を集めるとか、行方不明になっている父親を探すという理由はあるのでしょうが、それが物語とうまくかみ合っていないような気がしました。喫茶店の下にある秘密の部屋に入るとき、いちいちコスプレしているというのも間抜けだな。

 映画の最大の欠点は、物語を引っ張って行く主人公が弱いこと。これは脚本にある欠点でしょう。喫茶店キャッツ・アイで働く三姉妹こそ、じつは怪盗キャッツ・アイ。常連客の若い刑事・俊夫は三姉妹の次女・瞳と恋仲だが、彼は恋人が自分の追っている怪盗だとは知らない。瞳も本当は泥棒稼業から足を洗って彼と結婚したいのだが、それを許さない理由があった……、というのが原作の基本的な筋立て。逃げる怪盗と追う刑事の知恵比べを、ふたりの恋愛にからめてゆく素直な構成にすれば、映画はもっとすっきりとまとまったはず。ところが林海象はまた悪い癖を出して、話を横にずらしてしまう。中国系マフィアの話は、この際忘れてほしかったけどなぁ。

 仮に主人公を俊夫と瞳だと考えた場合、原田喧太と稲森いずみのコンビは弱すぎる。同じ脚本でも存在感のある役者を中心に据えれば、まだ観られた映画になるのですが、林監督にはそうしたことがわからないんですね。この映画では、脇役の内田有紀やケイン・コスギや山崎直子の方が印象が強くて、主役の影が薄すぎます。脇の人物なんてステレオタイプな芝居でいいんですから、中心をもっと強化して、腰の強い物語を作ってほしかった。例えば、どうしても山崎直子を出演させたいなら、彼女を三姉妹のひとりに入れるべきでした。仮に彼女が瞳を演じたことを思い浮かべてみると、この映画の線がグッと太くなってきますよね。

 オープニングがアニメというのは度肝を抜いていますが、どうせならテレビアニメと同じキャラクターデザインにして、テーマ曲もテレビ版にもっと近いアレンジにしてほしかった。ああ、要求ばかりの感想文だ。


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