傷・心
ジェームズ・ディーン愛の伝説

1997/08/19 KSS試写室
夭折したハリウッドの大スター、ジェームズ・ディーンの伝記映画。
全体に力不足。素材の名前に負けている。by K. Hattori



 若くして死んだ英雄の姿を、恋人や妻の視点から語るという構成は、伝記映画としてはオーソドックスな作り。狙いとしては悪くないのだが、作りがあまりにも安普請すぎるのが難だろう。伝説的な映画スターの伝記としては、大いに期待を裏切る内容に仕上がってしまった。ジェームズ・ディーンを演じるキャスパー・ヴァン・ディーンも、恋人キャリー・ミッチャムも、まったく無名の俳優。無名の俳優を連れてくるなら、周囲はベテランの俳優で盛り立てるのがセオリーなのに、この映画では周囲の人物も皆無名の俳優たちばかりなのだ。キャリー・ミッチャムの祖父であるロバート・ミッチャムが、『ジャイアンツ』の監督ジョージ・スティーブンスの役で出演しているのが唯一の例外だが、これは完全にゲスト扱いで、物語の中心には関わってこない。結局この映画は、ジェームズ・ディーンにまつわる数々のエピソードを絵解きしただけの紙芝居だ。

 50年代の映画撮影所が舞台なのに、映画生産現場なら当然持っているはずの熱気が伝わってこないのは致命的な欠点。ハリウッドの狂騒の中でも主人公がピュアな心を失わなかった、という点がこの映画の要だと思うのだが、背景であるハリウッドが描けていないため、主人公の行動は一人相撲に見える。ジャック・ワーナー、エリア・カザン、ニコラス・レイ、ジョージ・スティーブンス、デニス・ホッパー、ナタリー・ウッド、サル・ミネオなど、ディーンを巡る人々が登場しては消えて行くが、その背後に広がるハリウッドのスタジオシステムが見えてこないから、物語が貧弱になる。

 伝記映画には、主人公にまつわる名場面の再現が不可欠だ。名場面の記憶を通して、伝記映画と観客はひとつの人物像を共有することができる。映画スターの伝記映画ともなれば、こうしたプロセスはなおさら避け難いものになる。マリリン・モンローを描くのなら、『七年目の浮気』の有名なスカートが舞い上がる場面などは必須だし、チャップリンを描くなら『独裁者』の演説場面は避けられない。事実これらの人物の伝記映画では、こうした場面をうまく映画の中で再現して物語のキーポイントにしていた。では、ジェームズ・ディーンの伝記映画を作った場合、どんな名場面が必要だろうか。

 彼の出演した映画は3本しかない。その中から名場面を取り出そうと思えば、ある程度限られた場所になってくることは必至だ。しかしこの映画では、こうした名場面の再現をひとつも見せてくれない。遺作となった『ジャイアンツ』の中で、老けメイクをしたディーンが酔っ払ってひな壇から落ちる場面など、「俳優ジェームズ・ディーン」を語る際に避けては通れない場面だと思うのだが、この映画ではまったく無視されてしまう。

 映画の版権問題などもあり、容易な映画の引用は難しいという事情もあるのだろう。しかしそれ以前に、この映画では俳優の力量不足から、名場面の再現を避けてしまったように見えてならない。残念な話だ。


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