いちばん美しい年令(とし)

1997/08/27 TCC試写室
フランスのエリート養成校が舞台のギスギスした青春劇。
登場人物の気持ちがぜんぜんわからん。by K. Hattori



 釈然としない映画です。吹き抜けになっている螺旋階段で、人の争う気配を感じて振り向くと、階段の上から人が墜落して死亡する瞬間を目撃する。何事かと上を見やると、逃げ去る人影がチラリ。これって、どう考えたって「他殺」ですよね。ところが事件は「自殺」として処理されてしまう。こうなると話の展開は、ミステリーとサスペンス方向に向って行くものと相場が決まっている。主人公はこの出来事の唯一の目撃者。関わりを避けて警察で証言などはしなかったようだが、現場を見たのは「犯人」と主人公の少女のみ。果たして犯人は誰なのか。その動機は何なのか。死んだ少女には親しいボーイフレンドがいた。それが一番怪しい。階段の上の人影も、その男にほぼ間違いなかった。さあ、どうする。

 ところが、この映画はそういう映画じゃなかったんです。少女の死はやっぱり自殺で、そこには隠れた陰謀も秘密もありはしない。過酷な思春期の葛藤の中で、他人を傷つけ、自ら傷つき、壊れて行く若者たちの姿を描いているだけで、ミステリー的な要素はないのです。僕はこれにがっかりしてしまった。それならそうと、最初の自殺の場面で、それとわかるような演出をしておいてほしい。ちょっとした工夫で、まごうことなき自殺に見せることは可能だと思います。そういうところが、映画演出の腕の見せ所だと思うんだけど……。

 僕はこの映画にまったくノレなかった。登場する若者たちの内、誰の気持ちも理解できなかった。脇役がよくわからなくても、主人公の気持ちさえわかればなんとか物語について行けるのですが、この映画の場合、主人公が何を考えているのかもさっぱりわからない。台詞や動作に次の行動の予兆がまったくないし、表情が硬くて感情が外から読み取れない。主要人物たちの中でも、もっとも中心にいるデルフィーヌとアクセルの気持ちが、僕にはどうしても理解不能。デルフィーヌはどうしようもなく愚かだし、アクセルは極端に鼻持ちならない男だ。これでは物語に打ちとけることができません。

 物語に入り込めなかったため、もっぱら映画に描かれている細かなディテールにばかり目が行きました。「フランスでは軍隊がそれなりの尊敬を得ているのだなぁ」とか、「フランスでは古典の教育が徹底しているなぁ」とか、そんなところばかり見ていた。

 この映画に登場する学校は、一種のエリート養成校ですが、こうして古典をみっちりやることで、その国の文化が次の世代に継承されて行くのでしょうね。こういう教育をしている限り、少なくともエリートと呼ばれる人たちは文化の継承者足り得るだけの、教養と知識を身につけることができるはずです。日本では小中高と古典と無縁だし、大学まで行って日本文学をやる人なんてごく一部だから、古典に対する知識が体系的に継承されて行く機会は少ない。日本の受験教科って、結局は読み書き算盤の能力だけが極端に高度になっただけで、教養を身につけるものではないんだよね……。


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