アートフル・ドヂャース

1997/09/25 東和映画試写室
ニューヨークでモラトリアムを決め込む日本人青年たちを描く、
保田卓夫監督の劇場映画デビュー作。by K. Hattori



 何者かを目指してニューヨークに来たものの、何もなしえないままグズグズと貧乏生活をしている若い日本人たち。つい先日もニューヨーク在住の細谷佳史が初監督した『Sleepy Heads』を観たばかりだが、同じような土壌からもう1本の新しい映画ができあがった。保田卓夫監督のデビュー作『アートフル・ドヂャース』は、売れない画家、ポルノ作家、ストリートミュージシャンという3人の日本人青年と、ニューヨーク在住の姉をたずねてきた少女の物語。保田監督は『Sleepy Heads』にも助監督として参加していたそうですが、この『アートフル・ドヂャース』には、『Sleepy Heads』にあったマイナー臭がない。これは単に出演者の顔ぶれが違うとか、そういう問題ではないと思う。『アートフル・ドヂャース』は「日本人が主人公のニューヨーク・インディース映画」ではなくて、ちゃんと日本映画になってるもんね。

 この映画に登場する日本人たちって、それぞれに画家、ポルノ作家、ミュージシャンという肩書きはあるんだけど、本当に画家や作家やミュージシャンになりたいのかどうかは疑問。画家の絵は落書き同然だし、積極的に絵描きとして生活して行こうという意欲も見えない。ポルノ作家はインターネットで作品を発表しているようだけど、出版社に原稿を持ち込んで売り込むつもりがない。ミュージシャンは路上で小銭を集めるだけ。彼らのような生活は、日本では成立し得ないでしょう。ニューヨークでは「自称○○」ですべてが成立してしまうのかな。うらやましい世界です。いくつになってもモラトリアムが許される場所なんでしょうね。細谷佳史監督の『Sleepy Heads』にも、モラトリアム生活を送る日本人たちが登場してましたから、日本人の一部の人たちにとって、ニューヨークとはそういう場所なのかもしれない。

 映画の最後に画家が「日本に帰る」と言いますが、映画を観ている僕は、彼が日本に帰ったところで、ニューヨーク時代ほど生き生きした生活が送れるとは思えない。そこから何かを志して日本で再出発するようだけど、それが明確に見えてこないからカタルシスにはなってない。そこが食い足りないところ。ただし、このあたりは映画のテンポやリズムでなんとなく乗り切っていってしまう。「日本に帰ってお前は何をするのか?」という問いかけは曖昧なまま取り残され、とりあえず「よかったね」というセンに落ち着くのだから、ま、いいのかなぁ……。

 いしだ壱成が画家、西島秀俊がポルノ作家、佐藤タイジがミュージシャンを演じてます。主役格はいしだ壱成で、彼と彼の幼なじみの少女を中心に物語が動いて行く。でも3人の中でもっとも存在感があったのは、佐藤タイジだった。ベタベタの関西弁が、ニューヨークの風景の中で妙なリアリティを生んでいる。突然現われた妹との素っ頓狂な会話も楽しい。画家の幼なじみ役の浅野麻衣子や、その姉を演じた裕木奈江も素敵でした。

 WOWOWのJ・MOVIE・WARSの1本。保田監督は力のある人だと思う。次回作が楽しみです。


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