PERFECT BLUE

1997/10/01 シネセゾン試写室
売れないアイドル歌手の女優転身をきっかけに起る連続殺人事件。
アニメでこんな内容のドラマを作ってもなぁ……。by K. Hattori



 売れないアイドルグループのひとりが、女優転身をねらってグループを脱退。アイドル時代から彼女の追っかけをしていた熱狂的なファンのひとりが、ストーカーとして彼女の身辺にまとわりつく。大胆なイメチェンをはかるため、汚れ役やヌード写真など、それまでのアイドル路線から大きく離れて行く主人公の身辺で、次々と関係者が殺されてゆく。撮影中のテレビドラマの内容と呼応するように、主人公も精神的に追いつめられ、現実とテレビの中の虚構との間で漂流し始める。果たして真実はどこにあるのか? 殺人事件の犯人は誰なのか?

 最初に断っておきますが、この映画は決してつまらない映画ではありません。むしろ積極的に「面白い」と言ってもいい内容です。芸能界の裏側を題材にしたサクセスストーリーと、犯罪をからめたドラマはアイデアとして面白いし、ストーカーの描写にインターネットを使うなど、最新アイテムの選択にもそつがない。細かい点でもう少し踏み込んでほしいところや、設定と描写の齟齬が見える点などもありますが、大まかなところでは水準を超えた内容だと思います。だからこそ、僕はこの映画のできに大きな不満を持っているのです。

 この映画はアニメーションです。僕はそれがすごく不満なのです。映像表現の手段として、この内容のドラマをアニメーションにしなければならない必然性はどこにもない。むしろ実写で撮ってこそ生きてくる素材だと思います。資料を見ると、この映画は最初実写のドラマとして企画されていたものが、途中からアニメに化けてしまったというのが真相らしい。なぜアニメにしたのかという理由は、商業的な理由に決まっています。この内容のドラマを劇映画にしても、それを受け入れる市場が今の日本にはありません。その点、日本には広大なアニメ市場が存在していますから、それなりのスタッフとキャストでそこそこレベルの作品を作れば、劇場はともかくとして、ビデオ市場で確実に製作資金を回収することができます。おそらくこの映画を「実写映画化」することにこだわれば、いつまでたってもこの企画は日の目を見なかったと思う。そういう意味ではアニメ化にも必然性はありますが、ひとりの観客として作品を観た場合、アニメというフォーマットにこの作品を押し込んでしまったことが悔やまれてなりません。

 アニメにすることで「アニメ市場」の中で確実に資金回収がはかれたとしても、アニメ作品がアニメ市場以外の分野で正当に評価されることがどれだけあるかはわからない。世の中には「アニメだからどんな作品であろうと見る」という人の何倍も、「アニメだからどんな作品であろうと見ない」という人がいるのです。『PERFECT BLUE』がどれだけの観客に届くかという可能性を、アニメーションというフォーマットが限定している可能性は十分に考えられます。この企画を実写映画にできなかった日本映画界のある種の貧しさを考えるとき、僕はとても複雑な気持ちにならざるを得ません。


ホームページ
ホームページへ