ラヂオの時間

1997/10/08 東宝第1試写室
人気脚本家・三谷幸喜の映画初監督作に賭ける意欲は大いに買える。
少し肩の力が抜けるとさらに面白かったと思うけど。by K. Hattori



 テレビドラマ「警部補・古畑任三郎」「王様のレストラン」「総理と呼ばないで」などで知られる人気脚本家、三谷幸喜の映画監督デビュー作です。三谷幸喜は劇団・東京サンシャインボーイズの主催者として演劇ファンには古くから知られていますし、映画ファンには同劇団の舞台を映画化した『12人の優しい日本人』で、かねて馴染みの作家だと思います。今回の映画『ラヂオの時間』も、原作は93年に東京サンシャインボーイズによって上演された舞台劇。映画化に際しては、三谷自身が映画用に脚色し、エピソードやキャラクターなども多少の増減があるようです。

 ラジオドラマ「運命の女」を生放送する、深夜のラジオ局が舞台です。リハーサルもとどこおりなく終わり、さて本番というギリギリの時間になって、主役を演じる女性タレントが「役名をリツ子からメアリー・ジェーンに変えろ」とゴネはじめる。気ままなタレントの横車に押し切られたプロデューサーは、あっさりと役名変更を了承。それに合わせて物語の舞台は熱海からニューヨークに変更され、物語の辻褄がどんどん合わなくなってくる。やがて時間切れで放送開始。ドラマを進行させると同時に、何とか設定の辻褄合わせに奔走するスタッフたち。市井のメロドラマから出発したシナリオは、犯罪ドラマ、女弁護士のサクセスストーリー、天変地異のスペクタクル、宇宙ロケットが登場する冒険活劇へと変貌して行く。

 物語はさすがによくできていると思うし、随所に挿入されるギャグやユーモアも利いているのですが、それが爆発的な笑いにはなかなか結びつかないのは、編集のテンポが少しせわしないからだと思う。冗長な部分を編集で切り詰めようとした結果だと思うのですが、ひとつのギャグに笑い始める前に、もう次のギャグが登場するという忙しさ。ギャグで笑いを取ったら、その笑いが少し落ち着くタイミングを見計らって次のギャグを出してほしいのですが、そうした余裕がこの映画にはない。

 舞台出身者の初監督作品ということもあって、画面に「映画的表現」を取り込もうという意欲が満ちています。カメラワークや場面転換などに、「これは映画ですよ」という刻印がくっきりと刻まれている。こうしたガンバリぶりには敬意をはらいますが、ガンバリすぎて、観ているこちらにまで演出家の汗の臭いが感じられてしまうのはまずい。良質の喜劇は、出演者や台本作家や演出家の努力があってこそ成り立つものだけど、できあがった舞台や映画から、それが露骨に感じられるのはよくないと思う。老子曰く「大巧は拙なるがごとく、大弁は訥なるがごとし」と。『ラヂオの時間』は面白い映画ですが、中原俊の『12人の優しい日本人』と比べてどちらが上手いかというと、やっぱり中原俊の方がウワテです。

 ただ漫然と映画を撮っている新人映画監督が多い中で、映画表現と正面から取っ組み合いをしている三谷監督の姿勢には好感が持てます。今回の映画はあくまでも習作。次回作に大いなる期待を持たせる監督と言えるでしょう。


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