ロンドンの月

1997/10/09 徳間ホール(試写会)
ロンドンに生活する中国人たちの夢と挫折を描いた中国映画。
歴史性やオリエンタリズムとは無縁の面白さ。by K. Hattori



 ロンドンで暮らす中国人たちの夢や挫折を描いた中国映画。物語もていねいに作られていますし、風景や生活のひだをすくいあげるような撮影も見事。主人公たちの悪戦苦闘ぶりを応援しながら、ラストはしみじみと「いい映画だったなぁ」と思える作品です。11月からテアトル新宿ではじまる「中国映画祭97」で公開される映画ですが、映画の冒頭にミラマックスのロゴが入っていたところを見ると、どうやらこの映画はアメリカでも封切られるらしい。中国人だけがもつ個別の事情や心情を描く紛れもない中国映画ですが、そんな「個別の事情」を越えたところで「普遍的な人間像」を描いているから、この映画はどんな体制にいるどんな人間をも感動させうる力を持っているのだと思う。

 イギリスの音楽学校で学ぶため、ひとり中国を離れた主人公ランラン。しかしロンドンの身元引受人が、自分を息子の嫁にするつもりで招いたのだと知ってショックを受け、たまたま駅で知り合った中年の中国人スートンの部屋に転がり込む。部屋には同じ中国人の青年トンリンも同居しており、3人の奇妙な同居生活が始まる。中国に妻子を残してきたスートンはロンドンに家族を呼ぼうとするが、パスポートやビザがとれずに苦労している。トンリンはイギリスのパスポートを手に入れて、国際的なビジネスマンとして活躍するのが夢だ。ランランはそんなふたりにはげまされながら、音楽学校の学資をかせぐために働くようになる。

 スートンの部屋に転がり込んだとき、「結婚しろと言われたのが嫌だった」と涙ながらに訴えるランランに、「それは結婚するべきだ」「パスポートがとれたら離婚すればいい」と事もなげに答えるスートンとトンリン。そんな様子に二重のショックを受けるランランですが、彼女も映画の終盤では、ふたりの台詞が物凄く大きな意味を持っていたことを思い知らされる。映画はステレオタイプなサクセスストーリーの道筋をたどりながら、志半ばで挫折する3人の姿を描いて行きます。映画の終盤で、ランランとトンリンが再会する場面の対比。形は違っても、ふたりとも人生の戦いに負けた者同士なのです。彼らが何と戦い、何に負けてしまったのかはわかりませんが、本人たちの努力や気持ちとはまったく別のところで、何か大きな力が彼らの成功を邪魔しているように見えました。彼らが自力であの境遇から脱出するためには、何か非合法な手続きが必要なのかもしれません。

 「中国から妻子を連れ出したい」「何がなんでも中国には帰りたくない」という内容の映画はさすがに中国本土では作れないらしく、この映画は香港の資本で作られています。監督の張澤鳴(チャン・ツーミン)は中国人ですが、ランラン役の陳孝萱(チェン・シアオシユアン)は台湾のモデル、スートン役の劉利年(リウ・リーニエン)はカナダ在住、トンリン役の陳大明(チェン・ターミン)はロサンジェルス在住と、世界中からキャストとスタッフが集まって作った映画です。


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