ロザンナのために

1997/10/14 GAGA試写室
余命わずかな妻のために、愛妻家のジャン・レノが大奮闘。
話は面白いけど、根本で何かがずれてる。by K. Hattori



 イタリアの小さな田舎町を舞台に、そこに暮らす人々の織り成す悲喜劇をユーモアたっぷりに描く物語。現地イタリアでロケーションした映像は、いかにも地域のローカル色を感じさせますが、この映画は紛れもないアメリカ映画。フランスの俳優ジャン・レノを主人公マルチェロに、その妻ロザンナをアメリカの女優マーセデス・ルールに演じさせ、イギリス人のポリー・ウォーカーとマーク・フランケルが脇を固める。脇の方でイタリアの俳優も出演しているけれど、台詞はすべて英語。もっと正確に言えば、イタリア語訛りふうの英語でみんなが台詞を話している。これって、なんだか気持ち悪いぞ。といって、このスタッフとキャストでイタリア語の映画を作るなんて無理なんだけど……。

 物語自体はそこそこ面白く見られます。病で余命幾ばくもない妻を抱えた夫が、村に3つだけ残った墓地の権利を確保しようと大わらわするというお話。小さな村の中で新しい死人が出れば、それだけ妻が墓にあぶれる可能性が高くなる。交通事故防止のため自主的に交通整理を買って出たり、病院で危篤状態の老人を見舞ったり、それこそ涙ぐましいほど滑稽な行動をとり始める。その行動はちょっと気狂いじみて見えるほどですが、それが決定的に常軌を逸脱するのは、死人が出たときそれを隠蔽しようと四苦八苦するくだりでしょう。

 こうして死体をもてあそぶのは、アメリカ人の嗜好というより、むしろイギリス趣味だと思います。脚本がアメリカ人なので少しもたれる感じもしますが……。主人公が死体を抱えてウロウロするあたりは、ヒチコックの喜劇『ハリーの災難』を思い出させます。ヒチコックもイギリス人ですよね。『ロザンナのために』の監督ポール・ウェイランドもイギリス人。今話題の「ミスター・ビーン」は、この人が手がけたテレビシリーズだそうです。映画は『シティ・スリッカーズ2』に次いで2本目ですが、そういえば『シティ・スリッカーズ2』にも、死体が墓場からよみがえる場面がありました。

 『フィッシャー・キング』こそ我が生涯のベスト1作品と言い切る僕にとっては、マーセデス・ルールの出演が大きな目玉でしたが、この映画のルールはあまり生彩がない。もちろん「死を間近にした病人」という役柄のせいで芝居が制約を受けている部分もあるのでしょうが、それ以上に、脚本上のロザンナとルールのキャラクターが食い違っている点も大きいのかもしれない。この物語のロザンナは、死に抗うことなく現実を受け入れ、夫と妹の献身的な看病や心遣いに支えられ、自分の死後は夫に妹をめあわせたいと考える女です。ジャン・レノ演ずるマルチェロから見ると、「俺が何とかしてやらねば」と思わせるか弱い女でもあります。そう考えると、この役はもっと線の細い女優に演じさせた方がはまったかも。マーセデス・ルールじゃタフすぎます。もしルールをキャスティングしたのなら、ロザンナのキャラクターにはもう少し積極的な強さが欲しいところです。


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