火の鳥

1997/10/24 徳間ホール(試写会)
中国の有名な舞踏家ヤン・リーピンが作った自伝的な映画。
登場するダンスは全部本物の迫力。by K. Hattori



 人気絶頂のダンサーが胸の内に秘めている幼少時代の記憶をたどるという物語時代は、さして面白いとは思わなかった。目の見えなくなった原因を過去に求める謎解きふうの構成になっていますが、結局何が原因なのかはぼかされていますし、薄皮を一枚一枚はぐような神秘のベールがあるわけでもない。現在と過去を等分に描くのに、回想シーンという手法を使う合理性はあるのですが、へんにミステリー風にする必要は感じない。もっとストレートな語り口でも構わないと思います。

 そもそも、主人公の目を見えなくしてしまうという設定に、どんな意味があるのか僕はよくわからなかった。ダンスによって到達する恍惚状態(モリエナ)の絶対性を強調するために、観客なき舞台を設定したのかもしれませんが、それなら他にも表現の方法はあると思うけど……。仮に目が見えなくなることでそれを象徴したかったのなら、脚本でそれをもう少し補ってほしい。でないと観客である僕は少し戸惑います。

 彼女の目が悪くなった原因は「心因性のものだ」と説明されています。だとしたら、彼女の目は「見えなくなった」のではなく、彼女自身が「見ることを拒絶した」と解釈すべきでしょう。彼女は何を見ることを拒んでいるのだろうか。ダンスという個人の芸術や、過去の思い出の中に閉じこもるために、彼女は世の一切の関係を断ち切ろうとしているのだろうか。このあたりがボンヤリとしか伝わってこない分、物語は少し弱くなっている。

 製作・監督・脚本・主演は、中国の有名な舞踏家であるヤン・リーピン。この映画は彼女自身の体験をもとにした自伝的な作品で、映画の中で演じられているダンスも、彼女の得意とするレパートリーなのだそうです。映画のクライマックスに用意されている「孔雀舞」は、日本でも上演されたことがあるそうです。本職のダンサーが作った映画ですから、物語はどうあれ、そこで演じられているダンスはすべて本物。超一流の芸に、こうした形で触れられるだけでも、この映画には価値があります。月をバックに踊るもの、ヘビの踊り、男女ペアの踊り、孔雀の舞など、いくつかのダンスが披露されていますが、クライマックスに持ってきたわりには「孔雀舞」が一番面白くなかったな……、と素人の僕は思いました。衣装がフワフワしているから、身体の線が隠れちゃうんですよね。最初の月の踊りが身体のシルエットだけで見せるダンスだったので、それに比べると物足りないかな……。

 ヤン・リーピン自身が少数民族ペイ族出身ということですが、この映画に出てくる少女時代のエピソードにも、そうした少数民族の風俗が描かれています。どこまでが実話をもとにしているのかは知りませんが、部族の酋長マオティンの造形など、空想だけで描けるものではないでしょうね。出産をはげます女たちの踊り、新婚の男女を祝う族長の踊り、牛追いの儀式など、民族色たっぷりに描かれるエピソードの数々は、「中国ってまだまだ広いなぁ」と思わせるものでした。


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