この森で、天使はバスを降りた

1997/10/28 東宝東和試写室
長いタイトルと同じぐらい長い余韻と深い感動が残る作品。
久しぶりに試写室で泣きました。by K. Hattori



 5年の刑務所暮らしを終えたパーシーは、新しい生活の場として、メイン州にある山間の小さな田舎町ギリアドを選んだ。仕事の周旋を依頼された保安官は、彼女を町の食堂「スピットファイアー・グリル」に紹介する。食堂の女主人ハナは気難しい年寄り。田舎町の住人たちは、よそから来たパーシーに興味津々。ハナの甥っ子で不動産業を営むネイハムは、パーシーを年寄りを狙う泥棒と決めつけている。パーシーはこうした偏見や風通しの悪さという逆境にもめげず、新しい土地での生活に少しずつ溶け込もうと努力する。食堂の主人ハナや、店を手伝いに来ているネイハムの妻シェルビーなど、力強い味方もでき、彼女に好意を寄せるボーイフレンドもできた。彼女は新しい土地に、根を下ろし始めていた……。

 最初は……、頑なに自分のライフスタイルを変えようとしない老人が、新参者の来訪に戸惑い反発しながらも、徐々に心を開いて最後は親友になる、……という『ドライビング・ミス・デイジー』系の話かと思いました。あるいは、老人と若い世代の交流を描きながら、双方が心を癒されて行く『フライド・グリーン・トマト』みたいな話かと……。もっと陳腐に考えれば、刑務所から帰ってきた前科者が、周囲の偏見や差別を乗り越えてゆこうとして挫折する『町の入墨者(長谷川伸)』系も考えられる。でもこの映画はこうした観客の予想を裏切りながら、思いもかけない結末へと観客を運んで行く。

 主人公パーシーが刑務所に入っていた理由や、ハナがパーシーに命ずる行動の意味など、ミステリーふうの味付けで物語が進められて行くため、物語についてあまり詳しく書くことは避けます。これらは途中で「たぶんこんなことだろう」という予想はつくものです。どうせ観客の涙を絞るような、悲しい物語があるにきまっている。そうわかっていても、最後にネタを割られたときはやはり泣いてしまった。パーシーの語るインディアン母子の物語を思い出して、また泣けてきてしまった。悲しい物語で観客を泣かせるのは簡単ですが、この映画では最後の最後に小さな希望の光を見せて、そこでまた観客を大泣きさせる仕掛けがある。これも事前に十分予測できる結末だったのですが、それでもやっぱり泣けた。

 原題は主人公の働く食堂の名前である『THE SPITFIRE GRILL』。これに『この森で、天使はバスを降りた』という邦題を付けた、配給会社のセンスは買いです。主人公パーシーに邪心がないことは映画の最初からわかっているので、彼女を「天使」と呼んでしまってもネタばれにはならない。映画を最後まで観てさんざん泣かされた後にこの邦題を見ると、これが『スピットファイア・グリル』という映画でなかったことを感謝したくなります。東宝東和は邦題を付けるのがいつもうまい。

 昨年のサンダンス映画祭で観客賞を受賞した映画です。パーシーを演じたアリソン・エリオットの初々しい演技が印象的。監督・脚本のリー・デビッド・ズロートフは、この作品が劇場映画デビューになります。


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