欲望の街・外伝
ロンリーウルフ

1997/10/30 ユニジャパン試写室
人気シリーズ番外編。トニー・レオン扮する若いやくざが父の危急を救う。
日本のやくざ映画もこうした路線にシフトすべきです。by K. Hattori



 『欲望の街』シリーズは、香港で若者たちに大ウケしている青春やくざ映画です。香港のやくざ映画は、日本の仁侠映画や実録やくざ映画から多大な影響を受けているのですが、『欲望の街』シリーズがヒットしているのは、従来からのやくざ映画から大幅に若返りをはかり、やくざ映画というジャンルをアイドル映画とドッキングさせたところにある。これは一種の発想の転換で、この考え方を日本に逆輸入すれば、日本でも面白い映画が作れそうな気がします。

 新旧勢力の対立は、古くからやくざ映画の基本パターンになっています。ただし、今まではどちらかと言うと「古風な義理人情型のヤクザ」が「新興の仁義なき無軌道やくざ」が対立し、正義は常に古風なやくざの側にあるのが常だった。年配の主人公は傍若無人な若輩連中に突き上げられ、時に無礼な振る舞いを受けるが、義理人情とやくざ社会のしきたりやしがらみから我慢に我慢を重ね、最後は渡世の筋を通すために若者たちに正義の鉄槌を下す。こうした「古い価値観の勝利」が拍手喝采を浴びていた時代もあるのでしょうが、今はこれじゃ古くさすぎる。そこで次に、無軌道な若者たちの言い分に耳を傾け、旧弊を打破する若いエネルギーを賛美するような映画が作られる。そして『欲望の街』の登場です。

 『欲望の街』の主人公は常に若者です。若者が戦う相手は、対立組織や同じ組織の中の大人たちです。高度経済成長で経済やくざ化した組織への反発から、義理人情や仲間同士の結束に重きを置く、古いタイプのやくざが復活したのです。これは一種の「やくざ映画ルネッサンス」と言ってもいいでしょう。若者たちの奔放なエネルギーは、敵対組織との対決に火花を散らし、恋の花を咲かせ、組織内の腐敗を憎み、仲間同士の結束と連帯感を核にして、組織の再編成へと駒を進めて行く。やくざ社会の中での出世というサクセスストーリーの枠組みを守りながら、年長者への反逆という欲望も満足させられる。

 『欲望の街・外伝/ロンリーウルフ』は、そうした新しいやくざ映画像を端的に表わしている1本です。主人公はやくざ組織の親分の息子だが、親に反発して家を飛び出し、親子の仲も疎遠になっている。ところが組織が内外から脅威にさらされ、父親の身に危険が迫ると、息子は父親を守るために危険の中に飛び込んで行く。

 これと同じストーリーラインで、仮に今の東映が映画を作ってご覧なさい。主人公はやくざの親分の側になって、息子は脇役になりますよ。父親に反抗してばかりの息子にてこずる初老のやくざが、最後は父子和解をはたしてめでたしめでたしという話にしてしまう。社会の新陳代謝や世代交代の話を、引退して舞台から去って行く老人側から描こうとするでしょう。

 『欲望の街』は、祖父や父の世代の遺産を受け継ぎ、伝統を継承して行く若者たちを描くことで、人気シリーズになったのです。日本版『欲望の街』をジャニーズ系のタレントで作ったら、すごく面白くなると思うよ。


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