金田一少年の事件簿
上海魚人伝説

1997/11/20 東宝第1試写室
堂本剛、ともさかりえコンビの人気シリーズ完結編。
面白いんだけど、もう一歩かな。by K. Hattori



 堂本剛主演の人気テレビシリーズ「金田一少年の事件簿」の映画版完結編。主人公の金田一少年が、名探偵・金田一耕助の孫という設定でもわかる通り、ミステリーとしてはトリック重視の本格派。謎解きと種明かしの手順が古風で、それが逆に新鮮だったりする。僕は原作の漫画もテレビシリーズもアニメも見ていないので、映画版がテレビに比べてどうなのかは判断できないが、感想としては「これで完結編なんて言わないで、もっと作りなさい」といったところ。筋立てはチャチだし、甘ったるい人情に流されて安っぽい涙を流す場面もあったりするんですが、キャラクターがこなれていて面白いんだよね。絵作りもきちんと映画としてまとまっているし、見せ場のケレン味たっぷりな演出も面白い。

 名探偵が最後に関係者を一同に集め、事件の経過を説明した後「真犯人は……この中にいます!」と宣言するくだりが、いかにも古風です。これって戦前の探偵小説、江戸川乱歩や横溝正史のセンスだよね。そこが「金田一耕助の孫」たるゆえんなのでしょう。「じっちゃんの名にかけて!」ですもんね。もったいぶって事件の解説する前に、さっさと犯人を名指ししてしまえばいいのに、なかなかそうはしない。欧米の探偵ものなら、たぶん最初に犯人を名指しするよ。その上で、あれこれと言い逃れする犯人と探偵の最後の駆け引きに持って行く。

 この映画の変なところは、登場人物の誰も「犯人には見えない」というところ。普通は「誰も彼もが怪しい」という展開にした上で、犯人を絞りこんでいったりするでしょ。謎めいた人物を数多く登場させ、全員に動機があるようなないような、アリバイがあるようなないような、という状態を作っておくのが定石だと思う。ところが、この映画はその逆。登場人物たちは一応怪しげな挙動を見せるものの、観客に強い疑念を持たせるまでは至らない。最後の犯人の指名で少し腑に落ちない感じがするのですが、これは犯人が誰であっても腑に落ちない。

 犯行の動機も言葉で説明するだけなので、映画の登場人物たちほど、犯人に思い入れが持てない。各登場人物がその場にいる必然性が弱いので、物語は謎解きのための謎解きになってしまい、ドラマを盛り上げて行かない。一番気になるのは、事件に関わったことを通して、主人公たちが何の成長も見せない点。毎週放送する30分ドラマならそれでもいいだろうけど、2時間近い映画を作るにあたっては、そこから何らかの教訓なりヒントを引き出してほしかった。例えばヒロインの逡巡が、事件への関わりを通してある決意に変わるということでもいい。彼らはこの事件をどう見ているのか。そこに関わったことでどう変わったのか。それが知りたい。

 全体にもうひと押し足りないというか、パンチ不足というか、惜しいというか……。もっともっと面白くなる要素はあったと思うんだけど、脚本の書き込み不足と演出の粘りのなさが、水で薄めたような平板な映画を作ってしまった。冗長だとは思わないが、力不足です。


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