虹をつかむ男
南国奮斗篇

1997/12/22 松竹第1試写室
サンバのリズムが聞こえる南の島を舞台にふたつの恋が燃え上がる。
前作の設定を大幅に変えて生れ変わったパート2。by K. Hattori



 渥美清の追悼映画だった1作目は、そのあまりのデタラメぶりに心ある映画ファンから大ヒンシュクを買っていました。映画館や映画文化の危機を大声で叫びながら、なぜ映画が危機に陥ったのかという命題から目を背け、映画を守り通そうとする主人公が疑う余地のない善人であり、英雄であるかのように描かれているのには驚き呆れたものです。そんな映画のパート2に、僕は正直多くを期待していませんでしたが、この映画、前作に比べればだいぶましになりました。映画の開始早々、主人公・活男の経営していた映画館の倒産を観客に知らせ、原作者であり監督である山田洋次が自ら前作を御破算にしてしまうのですから、こちらとしては二の句が継げません。

 もっとも、これは前作の観客にとってひどく不誠実な態度です。前作から今回のパート2までの間に、何年の月日が流れたことになっているのかは知りませんが、前作を観た者からすれば、心優しき映写技師や土曜名画鑑賞会のメンバーたちがオデオン座の閉館をどう受け止めたのかが知りたいところ。映写技師はなけなしの金をはたいて映画館にピザ屋を開かせたのに、きっと活チャンはそれすら簡単に潰してしまったのです。その証拠に、オデオン座の末期はたこ焼屋をやっていたと活男自身が語っています。この主人公は赤字覚悟で地方の学校に移動映画のサービスをしたりしてましたから、こうした結果が出ることは最初から明白でしたけどね。

 この映画は前作の続編というより、むしろ仕切り直しと考えたほうがいいのかもしれません。寅さん映画の亜流に落ちそうだった作品の世界を立て直し、新たなシリーズ作品を生み出すためには、こうした荒療治が必要だったんでしょうね。主演の西田敏行と吉岡秀隆を巡回上映に連れ出すことで、各地方の風俗や風物を盛り込めるし、ゲストスターも呼べるし、作品としてはかなり間口が広がりました。ただしこれを本当に長いシリーズにして行くためには、もうひと工夫もふた工夫も必要になると思う。特に吉岡秀隆のキャラクターが問題です。彼が活男のもとと東京との往復を毎回繰り返すのは苦しいし、景気の悪いこの時期に、アルバイトだけで食っているという設定もリアリティがない。映画を軌道に乗せるためには、吉岡秀隆に本腰を入れて活男とコンビを組んでもらわなければならないでしょう。

 小泉今日子と松坂慶子という2人のヒロインがいるのですが、今回は扱いがどちらも中途半端だった。脚本が同じ山田洋次だからかもしれないけど、松坂慶子の扱いは『新・サラリーマン専科』の松下由樹と同じだもんな。映画が半分まで差し掛かると突然登場して、他の人物たちと大きくからみ合うことなく舞台から退場してしまう。

 体育館に集まった観客と主人公たちが、島歌に合せて全員で踊り出す場面は楽しかった。『学校II』における「風になりたい」の拡大版というか、同じ映画におけるアムロのコンサート場面の雪辱戦というか……。このあたりはベテラン監督の手腕が光ってます。


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