パーフェクトサークル

1998/01/14 徳間ホール
ボスニア紛争のさなか、敵に包囲されたサラエボの日常をリアルに描く。
自殺願望の主人公を設定したのが映画のミソです。by K. Hattori



 昨年の東京国際映画祭で、見事グランプリと最優秀監督賞を受賞した作品。同時にグランプリを受賞した『ビヨンド・サイレンス』の方が僕は好きなんですが、ボスニア紛争を描いた映画としては『ピースメーカー』などより、はるかに深いところまで描ききっていると思いました。監督のアデミル・ケノヴィッチも脚本のアブドゥラフ・シドランもサラエボ出身ですから、この映画は紛争当事者、あるいは紛争渦中にいる現場の人間が作った、ボスニア紛争に関する映画です。深いところまで描けるのも当然かもしれません。

 この映画に描かれる「ボスニア紛争」は、住民同士が互いに銃を撃ち合う内戦ではなく、散発的に起る砲撃や爆撃、街に潜む狙撃手の銃撃、見えないところから降り注ぐ機関銃の弾などから、いかにして逃げ延び、生き残るかというサバイバルです。紛争の最中でも、人々は友人に会うため、買物に出るため、水の配給を受けるため、あるいは余暇を楽しく過ごすために、建物の外に出て行く。危険な道路とそうでない場所を瞬時に見分け、危険の多い場所では身を低くして小走りに走る。これは市民たちが、紛争の中で否応なしに身につけた、生き残るための技術なのです。「危険な通りを渡るときは3人目を避けろ」という話が出てきます。「狙撃手は1人目で発見し、2人目で狙いをつけ、3人目で撃つ」からです。こうした会話は、紛争当時のボスニアではごく普通の日常会話だったのでしょう。

 映画のオープニングがかなり衝撃的です。ベッドで目を覚ました幼い兄弟が窓の外を見ると、裏庭を兵士たちが銃を撃ちながら走っている。住民たちを無差別に撃ち殺し、家々をしらみつぶしに巡回している兵士たち。兄弟はとっさにベッドの下に隠れて、辛くも難を逃れますが、兵士たちが去ったあと家から外に出ると、そこには家族や近所の人たちの死体がころがっている。平和な日常の真っ只中を、巨大な暴力が吹き抜けていった瞬間です。生き延びた兄弟はサラエボ市内にいる叔母を訪ね、とぼとぼと道を歩いて行くのです。

 この映画のドラマとしてのポイントは、偶然この兄弟を助けた初老の男を、自殺願望に取りつかれた詩人にしたことでしょう。人々が生き抜くことに必死になっている時に、この男は逃げられるのに逃げず、自分が首をくくって死ぬ白日夢にとりつかれている。家族が国外に亡命するとき彼だけが残ったのは、彼が生きることを放棄したからかもしれない。ところがそんな彼も、いざ目前に死が迫ると、本能的に生きることを選択してしまう。生と死のせめぎあいは、この男の中にも存在するのです。

 子供たちを引き取ったことで、主人公の男が自分の人生をより快活なものに変えて行く様子は、『コーリャ愛のプラハ』などにも通じる心温まるエピソードです。映画は悲劇的な結末を迎えますが、これは、戦争を終わらせることでしか悲劇からの抜け道はないという、監督からのメッセージではないでしょうか。


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