ブラックアウト

1998/01/29 シネセゾン試写室
主演のマシュー・モディンが消えた恋人を探す恋のミステリー。
監督に構成力がないので全部がみえみえ。by K. Hattori



 僕のエイベル・フェラーラ体験は、前作『フューネラル』を観たのが最初。これは出演者たちこそ豪華だったけど、描かれる世界に映画的広がりが感じられないものだった。というわけで、僕はフェラーラ監督に、あまりいい印象を持っていない。絵作りのセンスには独特のものがあって、それはそれで面白いとは思うんだけど、映画は「絵」だけじゃないから……。というわけで、今回の映画はあまり期待せずに観た。期待せずに映画を観ていて、しばしば期待を裏切られる大傑作にぶち当たることがありますが、今回は残念ながら、そのままの内容だった。登場する役者たちは一流だし、絵作りのセンスも抜群、話のアイデアは悪くないのに、なぜこんなにつまらなくなってしまうのか、僕には容易に理解しかねる。

 マシュー・モディン演ずる世界的な映画スター、マティがこの映画の主人公。彼は撮影や映画祭で世界中を飛び回り、各地でさまざまな女性と浮き名を流しますが、ベアトリス・ダル扮する最愛の恋人アニーを心から愛している。派手な生活の中で、酒とドラッグにおぼれかけているマティは、アニーの妊娠を知って、彼女と結婚して生活を一新しようと決心する。ところが酒に酔った彼はアニーに暴言を吐き、彼女は彼のもとから去ってしまいます。心のより所であった女性を失ったマティは、ますます酒とドラッグにおぼれて行く。やがてすっかり生活の荒廃したマティは、専門家の治療を受けて更生し、ニューヨークで別の女性と暮らしている。でも彼の心を支配しているのは、やはりアニーなのです……。

 最愛の恋人に去られた痛手を、いつまでも抱えて泣きわめく主人公マティの気持ちは、僕にもわかるような気がしました。僕にも同じような失恋経験がありますし、それによって受けた痛みや喪失感は、新しい恋人ができたぐらいでは癒されないことだってある。こうした身を切られるような失恋体験を核に物語を組み立て直せば、この映画はもっとシンプルで、しかも面白いものになったと思います。大きな失恋を描くためには、その前の恋愛期間を情感たっぷりに描かなければならない。落差が大きければ大きいほど、失恋の痛みを忘れるために酒とドラッグに頼る主人公の気持ちに共感できるわけです。

 ところがこの映画では、主人公は登場したときからヤク中のろくでなし。「子供なんて堕ろせ!」という暴言も、これでは思わず漏らした本音のように見えてしまいます。この台詞は、生活を変えようと決心した男の最後の悪あがき、心の弱さの現われに見えなければならない。もしこれが彼の隠された本音だとしたら、アニーを失った痛みをいつまでも抱える彼の気持ちに説明がつかない。

 人間の言動は複雑で矛盾に満ちたものだけれど、少なくとも物語を組み立てるときは、全体の道筋をデザインしてやる必要がある。この映画にはそうした本質的デザインがないから、芝居が即物的で薄っぺらになるのです。心の中のドロドロしたものを描けるようになれば、映画がもっとパワフルなものになると思います。

(原題:The Blackout)



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