ウィッカーマン

1998/02/27 ユニジャパン試写室
現代に甦った古代ケルト宗教を描く、正真正銘のカルト映画。
1973年製作の古典的ホラー作品だ。by K. Hattori



 1973年にイギリスで製作された、古典的なカルト・ホラー映画。世界的にも高い評価を受けた作品らしいが、当時日本では公開されず、ビデオでは短縮版が発売されていた(現在は廃盤)という作品だ。ホラー映画としては「ぜんぜん恐くない」という点を致命的欠点とする考えもあるであろうが、僕は「恐くないのが恐いのかも……」と一定の保留をしつつ、やはり素直に面白がってしまった。完全版は102分あるそうですが、今回上映されるのは88分の短縮版。完全版はフィルムが紛失していて、どうしても見つからないのだそうな……。

 物語の舞台は、スコットランド領にある孤島サマーアイル島。島でローワン・モリソンという少女が行方不明になったという匿名の手紙を受け取った本土の警部が、この島に調査に訪れる。島は全体が私有地になっていて、島民たちは閉鎖的。捜査ははかばかしい進展を見ないが、徐々にわかってきたのは、ローワン・モリソンという少女が確かに行方不明になっていることと、その事実を島民全員で隠そうとしている事実、そして島民全員が古代ケルト民族の宗教を信じていることだった。警部は行方不明の少女が、豊作を祈る祭りの生け贄に選ばれたのではないかと推理する。生け贄を神に捧げる儀式が行なわれるのは、数日後の五月祭だ。それまで少女は、どこかに生きたまま閉じ込められているに違いない。

 主人公のハウイー警部を、熱心なクリスチャンに設定しているのが物語のミソです。最終的にこの映画は、野蛮な異教の祭を近代国家の法と正義が断罪するという構図にせず、ケルト宗教とキリスト教の対決という地点に引っ張り込む。島民の信じる宗教を「迷信」だと言うのなら、キリスト教もまた高度に体系化された「迷信」に過ぎない。こうした宗教的価値観の相対化を、行方不明の少女探しというミステリーの中で描く面白さ。この映画を「キリスト教徒以外には理解できない」と誤解する日本人も多そうだけど、実際はそんなことはあり得ない。主人公ハウイーは現実的なキリスト教信者より、極端に潔癖で教条主義的な信者として描かれており、この主人公がキリスト教社会の中でも完全な共感を呼ぶとは思えないのです。彼が体現しているのは、「キリスト教信者」の姿ではなく「キリスト教的モラル」の姿です。

 民俗学的な素材を大量に盛り込んだ物語は、諸星大二郎の描くマンガの世界に近い。僕は諸星作品が好きなので、この映画の世界観も大好きです。僕は次に生れ変わるとき、サマーアイル島の島民に生れ変わりたいぐらいです。昼間は歌ったり踊ったり、夜は女の子とセックスしたりと、じつに楽しそうではありませんか。

 島の持ち主であり、島民の宗教の祭主でもあるサマーアイル卿を演じているのは、ドラキュラ役者クリストファー・リー。彼の持つ貴族的な雰囲気が、全編に流れる民俗学的正確さとあいまって、映画全体を格調高いものにしている。ラストシーンで、手を振りながら踊るリーの姿が、いつまでも瞼から消えないよ〜。

(原題:THE WICKER MAN)



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