すべての些細な事柄

1998/03/09 TCC試写室
精神病院で演じられる芝居の稽古風景を追うドキュメンタリー。
ナレーションの不在に作り手の自信が見える。by K. Hattori



 精神病院の患者とスタッフが、年に1回共同で舞台劇を上演する。演目はゴングローヴィチの「オペレッタ」。この映画は、その準備から上演までを追ったドキュメンタリー。同じように「精神病患者たちの舞台」を描いた映画には、オーストラリア映画『ハーモニー』(これはフィクション)があった。こちらは演目が「コシ・ファン・トゥッテ」だった。どちらも音楽に関係している。ちなみに『すべての些細な事柄』と『ハーモニー』は、エンドタイトルがアコーディオンの演奏で終わるところまで同じ。製作年度などから見て、一方がもう一方を真似たとか影響を受けたというわけではないようです。

 こうした精神病患者たちの演劇というのは、欧米の精神病院では比較的ポピュラーなものなのだろうか……。『すべての些細な事柄』に登場する“ラ・ボルド”という施設はかなり有名なものらしいので、『ハーモニー』の原作戯曲は、それに触発されて書かれたということも考えられますが、詳細は不明。

 『すべての些細な事柄』を監督したニコラ・フィリベールは、聾唖者が持つ独自の世界を描いた『音のない世界で』という作品が日本でも公開されています。僕は生憎とこの映画を観ていないので、今回『すべての些細な事柄』を観たのがフィリベール作品初体験。説明的な描写やナレーションを使わず、ひたすら対象を追い、編集技術だけでストーリーを綴って行くスタイル。かなり大量の素材フィルムを作って、それを切ったり貼ったりして映画に仕上げているのでしょう。「これはかなり金がかかる作業だな」と人ごとながら感心してしまう。

 普通のドキュメンタリーのように、ナレーションや解説者を付けた方が、はるかに安上がりに映画を作れるはずですが、フィリベールはそうしない。曖昧な映像にナレーションで意味付けすることを避け、映像自体に明確さを求めている。または、編集(モンタージュ)技術で映像の中に意味性を持ち込もうとしている。そうとう自信がないと、この手法は取れないと思います。フィリベール監督は1978年から、ドキュメンタリー作家として数多くの映画を撮っている監督です。そのキャリアが自信になっているのでしょう。

 世の中には精神病に対して不必要な嫌悪感や恐怖感を感じる人がいる反面、非常にロマンチックなものと誤解している人たちもいる。この映画に出てくる精神病患者たちは、そのどちらでもない。和気あいあいと芝居の稽古をする患者たちの姿は、微笑ましく思え、嫌悪や恐怖とは無縁のもの。一方で彼らに毎日のように処方されている大量のクスリを見せて、彼らが紛れもなく「病気」であることを忘れていない。これを見ると「精神病とは近代社会が規格に合わない人間に貼ったレッテルに過ぎない」というような、ロマンチックな幻想なんて吹き飛んでしまいます。この映画は彼らを「病気」の人たちを、排斥しようとするのではなく、我らの隣人として接する可能性について描いているような気もしますが……。

(原題:La moindre des choses)



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