秘祭

1998/03/31 シネセゾン試写室
八重山諸島の小島に伝わる秘祭と島民たちの謎。
原作・脚本は石原慎太郎。by K. Hattori



 沖縄八重山諸島のさらに先にある、日本の中でも僻地中の僻地であろうと思われる小島。島の周囲は10キロたらず。本土から離れた不便さから過疎化が進み、残る島民は17名になっている。この島に目をつけた東京の不動産開発業者が、前任者が事故死して頓挫していた地上げ作業の仕上げを若い社員、高嶺に命じる。島民たちは彼を快く迎え、地上げは難なく進むと思われたのだが、島に伝わるさまざまなしきたりが、最後の最後でそれを阻む。やがて、年に1度の祭りの季節がやってくる。外部からの取材や観光客を完全にシャットアウトし、島民たちだけで行われるこの祭りの中で、高嶺は善良そうな島民たちの本当の姿を知ることになるのだが……。

 つい先日観たイギリスのカルト映画『ウィッカーマン』に、よく似た話だと思って観ていた。閉鎖的な島の中に外部から来た男が入り込み、古代から続く宗教儀式の犠牲になる部分は同じ。もっとも「宗教」や「信仰」を仲立ちとした人物の位置関係と、最後の対決部分は、『ウィッカーマン』の方が面白かった。『秘祭』は古代からの儀式と現代人の価値観のギャップを描いているだけだが、『ウィッカーマン』の警部は現代の価値観だけでは島民たちに対抗できず、最後は自らの宗教性を武器にするしかなかった。20世紀の現代に、キリスト教と古代ケルト神話が戦うのが、『ウィッカーマン』の面白さです。『秘祭』にはそうしたテーマがない。もっとも、これは『秘祭』の欠点ではないと思う。ただ単に『ウィッカーマン』と『秘祭』が似たようなモチーフを扱いながら、テーマの部分でまったく別のものを描こうとしているだけのことです。

 『秘祭』で観ることができるのは、生まれた土地に根をはって生きる島民たちの力強さ。彼らが島を所有しているのではなく、彼ら自身が島の一部なのだという感覚。島を離れていた人間が最後は島に戻ってくるのは、彼らが「島の一部」だからではなかろうか。こうした「土地と人間の関係」は、現代の日本からはすっかり姿を消してしまったものです。現代人は、自分の住む土地を「自分のもの」だと考えている。でも本当は「土地」だけが本物で、人間はカゲロウの様にはかない命をすり減らす、つかの間の存在でしかない。この映画に出てくる島民たちは、それを体で知っているのです。

 島の外から来た高嶺が、島おさの娘と恋仲になったことで、島にある伝統的価値観と、島の外にある現代の価値観がぶつかり合います。それは構わないのですが、高嶺役が大鶴義丹、島おさの娘が倍賞美津子ではバランスが悪いと思う。彼女はまだまだだ女を感じさせる女優だとは思いますが、大鶴義丹が駆け落ちしようとする相手にしては、やはりトウが立ちすぎのような気がする。僕はこの映画の前半を面白く観ていたんですが、大鶴義丹が倍賞美津子に「一緒に東京に行こう!」と言い出したあたりから、どうも白々しくて観ていられなくなってしまった。脚本段階で、少し工夫がほしかった。


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