ボディ・カウント
ヤバい奴ら

1998/04/10 シネセゾン試写室
寄せ集めの美術館強盗が互いの疑心暗鬼から自滅してゆく。
ポイントがもうひとつ絞り切れていない。by K. Hattori



 美術館から1,500万ドル相当の絵画を盗み出した泥棒一味が、マイアミの故買屋に品物を引き渡す旅の途中で仲間割れして自滅して行く。映画の冒頭が美術館から逃げ出す場面で、その後倉庫に入った時は「なんだよ、また『レザボア・ドッグス』か?」と思いましたが、直後に倉庫に火を放って車で脱出したことに少しホッとしました。でも、旅の中で互いに疑心暗鬼が広がってゆくのだから、基本的なセンは『レザボア・ドッグス』の延長上にある物かもしれません。もともとの発想は別のところにあるのかもしれないけど、結果として似たような物になってしまったわけです。

 出演者を見ると、結構豪華なキャストになっている。グループのリーダー、パイク役に『パルプ・フィクション』のビング・レイムス(前はライムスと表記したような気がする……)。短気で女好きのチノに、売れっ子のジョン・レグイザモ。冷静そうに見えて狂暴さを秘めたホッブスに、バーベット・シュローダー監督の『死の接吻(95)』に主演したデビッド・カルーソ。盗みの計画をパイクに持ちかけたクレーンに、『ため息つかせて』で監督業にも進出したフォレスト・ウィテカー。途中で逃亡犯たちにひろわれて人質となるナタリーに、『MIB』のリンダ・フィオレンティーノ。

 物語のアイデアは面白いのですが、映画作りの技術的な面で拙い点もある。美術館からの逃亡から物語が始まり、途中で美術館での盗みの経緯や、それぞれの人物の過去をカットバックで挿入して行くのですが、これが結構クドく感じられるのです。特に断片的に挿入される美術館内部の様子は冗漫で、まだまだ短く切れると思う。映画の上映時間が1時間25分ということもあり、これ以上短くすると商用映画として成り立ちにくいという意味もあるのでしょうが、それなら現在進行形の物語の部分をもっと厚くして、過去についてはさらりと流してしまうべきではなかろうか。カットバックが多いと、物語の流れがそこで中断してしまう。物語が中断すれば、観客の緊張感もそこで断ち切られてしまいます。

 物語は全部で大きく3つのパートに別れている。ひとつは映画の前半にある、逃避行中に互いの意地の張り合いや葛藤から、憎しみあい殺し合いをはじめる男たちの様子。もうひとつは後半の、ナタリーを中心にして男たちの運命が大きく狂って行く過程。3番目は前2者にカットバックで挿入される、美術館の中でのいきさつ。この内、逃げる男たちのドタバタを描いた映画前半の部分は面白く描けているが、後半のナタリーのくだりはもうひとつだと思う。男たちのキャラクターに比べると、ナタリーの人物像は具体的な輪郭に乏しく謎めいています。もう少し彼女の人物像を描き込んで行くと、彼女と男たちの葛藤や、彼女を巡る男同士の対立などが明確になったと思う。彼女の行動は様々な動機を推測することができるのですが、そこには演出側の明確な意図を感じることができない。後半の弱さはそこに原因があります。

(原題:BODY COUNT)



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