GAMA
月桃の花

1998/04/12 月島社会教育会館
沖縄戦の悲劇を沖縄人の視点から描く力作。
いい映画ではあるけれど……。by K. Hattori



 太平洋戦争末期に、日本で唯一地上戦が行われた沖縄の悲劇を描く力作。積極的に戦争に荷担したわけでもないのに、否応無しに戦闘に巻き込まれて行く戦争の恐ろしさを、民間人一家の姿を通して描き出している。映画は、沖縄に住む老婆もとに、米兵と結婚してアメリカに渡った娘の子供、ジョージが訪ねてくるところから始まります。ジョージは自分の母と祖母の仲たがいに心を痛めており、同時に自分の祖父がどうして死んだのかを知りたい、自分のルーツを探りたいという願いを持っている。はじめは語ることを拒んでいた房だが、やがて重い口を開き、50年前の出来事を語りはじめる……。

 孫に向かって老婆が過去の惨劇を語るという構成は、大ヒット中の映画『タイタニック』とまったく同じ。あらかじめ決定されている悲劇的結末に向かって、物語がどんどん進んで行くという部分も共通しているし、最後に一家にまつわる意外な真実があらわになるという部分まで同じです。定番の構成と言ってしまえばそれまでですが、今現在の豊かな日本しか知らない観客に、50年以上昔の戦争時代を語るとなると、やはりこうした構成にするのが一番だと思う。例として不適当かもしれないけど、今井正の『戦争と青春』も老人の告白、出目昌伸の『きけ、わだつみの声/Last Friends』は現代の若者が過去にタイムスリップするという構成になっている。

 艦砲射撃や艦載機の襲撃で次々犠牲者が出て、一家が散り散りになってゆく様子には胸が痛みます。道を行く避難民たちの群れ、怪我をして動けなくなった人や、ボロクズのように道端で死んでいる人々、その死骸にすがって泣く赤ん坊、爆風で腕を吹き飛ばされた妹を抱えて泣きじゃくる少女など、観ていて気の毒で涙が出そうになりました。最後にガマ(洞窟壕)から這い出してきた避難民たちの様子を、記録映像と取り混ぜながら描く場面もすごい迫力です。沖縄県の人々が1フィート運動などを通してアメリカから取り寄せた記録フィルムの中には、まるで昨日撮影したように鮮明な映像も混じっているのです。憔悴しきった人々の表情が印象に残ります。

 8割かた満足の行く映画でしたが、不満な点もある。中盤以降はガマの中に集まる避難民と守備兵たちによる密室劇になるわけですが、狭い空間で互いの思惑が煮詰まって行く雰囲気が出ていない。これは視点があまりにも沖縄の民間人側にあるためで、本土から来ている日本兵たちの描写があまりにも表面的なのです。中には國村隼が演じた元通信兵のような、面白いキャラクターもいるのですが、それがまったく物語に生かされていない。単なる状況説明役で終わってしまっているのは残念です。

 父親を戦争でなくしているジョージが、沖縄の現状について「正義の戦争のための小さな犠牲です」と言うと、「戦争に良い戦争と悪い戦争があるの?」と反論され、何も言えなくなってしまう部分は、アメリカで教育を受けた人間とは思えない。こうした「沖縄の心」の強調が、結果としては物語を薄くしている部分があるのです。


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