ぼくのバラ色の人生

1998/04/23 GAGA試写室
将来は女の子になりたいと願う、カワイイ男の子の物語。
ファンタジックな社会派ホームドラマ。by K. Hattori



 「将来は女の人になって、隣のうちにすむ男の子と結婚したい」と願う男の子の物語。主人公リュドヴィックは、人形遊びをしたり、お母さんのドレッサーの前でお化粧したり、お姉さんの服を無断拝借して女の子の格好をするのが大好きな少年です。運動は苦手だし、西部劇ごっこは嫌い。外で遊びまわるより、お母さんの台所の手伝いをしていたほうが楽しいのです。ところがそんなリュドヴィックの存在が、近所や学校で大問題になってしまう。彼は親に連れられてカウンセリングを受け、小学校を追い出され、スポーツクラブでは他の男の子たちから袋叩きに会ってしまう。父親は会社をクビになり、リュドヴィックの一家は地域社会で村八分。

 難しい言葉でいえば、リュドヴィックのような状態は「性同一化障害」とか「トランスジェンダー」と呼ばれるものなのかもしれません。これを先天的な障害や病気と考える人もいるでしょうし、その人の個性だと考える人もいるでしょう。もちろんリュドヴィックぐらいの年齢なら、成長過程での一時的なものだと考えることもできる。この映画の中では、結局この点について明確な結論は出していない。これはたぶん、性急に結論を出せる問題ではない事柄については語るまいという、製作者側の誠意だと思うのです。この映画は同性愛について語ったものではない。リュドヴィックが同性愛か否かなんてことは、彼が思春期になってはじめてわかることです。性愛の対象としては紛れもない異性愛者であっても、女装癖のある男性はいくらだっていますからね。(女性が男性と同じ服を着ても、周囲からは特別奇異な目では見られないんだから、女性のほうが何かと得だよね。)

 この映画が描いているのは、リュドヴィックというきわめて個性的な子供と、家族や社会の関わりが生み出す騒動です。リュドヴィックにとっては何でもない、ごく当たり前のことが、周囲からは同じように「当たり前」とは受け止めてもらえないことから起こる悲喜劇。映画は一貫してリュドヴィックの視点を代弁しているので、この映画の中ではリュドヴィックこそが常に正しく、彼を受け入れてくれない社会は奇妙なものとして描かれている。この転倒した価値観が、じつに効果的なスパイスになって映画全体のトーンを作りだしています。

 雰囲気としてはピーター・ジャクソンの『乙女の祈り』に近いかもしれない。子供の視点から世界を見るという発想が同じだし、子供のイマジネーションの世界をデジタル合成で作り出している点も同じ。『乙女の祈り』は悲劇的な結末を迎えたけど、『ぼくのバラ色の人生』は常にユーモラスで笑いの絶えない映画です。リュドヴィック役のジョルジュ・デュ・フレネはすごく可愛いし、お母さん役のミシェール・ラロックも素敵だし、おばあちゃん役のエレーヌ・ヴァンサンもすごくよかった。少し前に『ポネット』が大ヒットして「カワイイ系」の映画に注目が集まってますが、この映画は『ポネット』なんて比較にならないぐらいカワイイよ。

(原題:ma vie en Rose)



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