新宿少年探偵団

1998/04/27 松竹第1試写室
ジャニーズJr.主演のファンタジックな冒険活劇?
どうにも冴えない話だな。by K. Hattori



 古めかしいタイトルは別に構わないけど、中身まで古めかしいのは困りもの。ところどころに新しさを感じる部分がないわけではないけど、全体の作りが粗雑過ぎて白けることおびただしい。そもそもこの映画のタイトルに「新宿」をうたっている割には、街の風景がまったく生きていない。もっと丹念にロケハンすれば、新宿にはもっといろんな顔があるはずだぞ。また同じくタイトルに「少年探偵団」をうたっているわりには、メンバーになったのが少年2人、少女2人の4人組で、しかも積極的に行動しているのはもっぱら少女の側というチグハグさがある。どうせ『少年探偵団』と名乗るのなら、ジャニーズJr.からの参加者を3人などとケチらずに、もっと大勢を出演させてしまえばよかったのにね。

 父子家庭育ちの問題児、塾嫌いだけど母親に反抗できない優等生、過食症のアイドルタレント、母の遺言で空手を禁じられた少女など、登場人物たちはそれぞれが、彼らなりに深刻な悩みを持っている。こうした設定が、彼らの行動基準や動機を生み出す原動力になるので、たとえそれが段取りに終始していようとも、僕はこうした設定自体は否定しない。しかし、せっかくこうした設定で個々のキャラクターを色分けしたのに、どの人物も似てきてしまうのはなぜだろう。ある事件が起こったとき、もっとバラエティーに富んだ反応が返ってきてもよさそうではないか。これは脚本が力不足なのでしょう。

 主人公たちは事件の解決を通して、それぞれの友情を確かめ合い、無二の親友を手に入れる。しかしそれが、彼らの抱えていたさまざまな問題を解決することに、直接結びつくとは思えない。映画の中で自体の解決まで描く必要はないけれど、せめて「解決に向けた一歩」や「解決への手がかり」ぐらいは描いておいてくれないと、こちらは宙ぶらりんなまま取り残されてしまう。

 物語のバックボーンになっている「闇の科学同士の戦い」というものも、観客にはひどくわかりにくい。SF作品の中には、ゾロアスター教的(あるいはマニ教的、グノーシス的)善悪二元論を持ち込み、光(善)と闇(悪)の戦いの中に、主人公が投げ出されるという話がよくある。『新宿少年探偵団』では「闇同士の戦い」が描かれているのだが、この戦いが我々の住む世界とどんな関わりを持っているのか、まったく説明がないのだ。映画の中では「闇の科学」を超能力と結びつけ、平安時代の陰陽師を引き合いに出していたが、説明は途中で投げ出され、結局正体は謎のままだ。たぶん映画の製作者たちも、よくわからないまま映画を作っているのだろう。

 この映画は、本当に何も考えずに作られている映画だ。学校での持ち物検査に、生徒が「人権侵害です」と抗議する場面があるけど、そんなこと言い出したら、制服はどうなんだ? 持ち物規則を生徒に課すこと自体はどうなんだ? そうした根源的問いかけのないまま、その場で気に食わないことを「人権」の名で押し通し、しかもその行為が賞賛される映画なんて大馬鹿者です。


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