狂った果実

1998/05/03 有楽町朝日ホール
石原裕次郎の主演デビュー作は、今観てもけっこう新鮮。
40年前に作られた青春映画の古典。by K. Hattori



 昭和31年に製作された日活映画。言わずと知れた、石原裕次郎の初主演作だ。裕次郎はこの直前に『太陽の季節』で端役デビューしているが、この『狂った果実』を実質的なデビュー作とする説もある。かれこれ42年前の作品だが、古さはあまり感じない。「太陽族」という湘南の若者風俗も、その無軌道さが現代の若者たちにつながるような気がするし、会話の場面などは、今の映画よりよほどテンポが良くてこなれた感じがした。もちろん、この映画にはまだ「戦後」の影がうっすらと見えており、岡田真澄扮するフランクという混血青年や、北原三枝演ずるヒロイン恵梨の境遇に、強大なアメリカの姿がちらついている。ただし、それは物語全体のメインではなく、キャラクターのディテールを掘り下げた結果、時代背景が刷り込まれたものだと思う。

 物語の中心にあるのは、裕次郎演ずる太陽族の青年・滝島夏久と、彼の弟で、兄のグループからは一線を引いている純情な青年・春次、そして、ふたりの前に現れた美しい女・恵梨の三角関係です。このうち一番ややこしい人物設定になっているのは恵梨で、彼女は年配のアメリカ人と結婚していながら春次と恋愛関係になり、一方で夏久とも関係を持つようになる。彼女はこうした関係に、少しの良心の呵責も感じていない。彼女の心理をどんどん掘り下げると、それはそれでまた別の映画になりそうですが、この映画ではそれをある程度の地点で打ち切り、もっぱら夏久と春次が演じる兄弟間の葛藤を掘り下げている。恵梨という特異な状況に置かれた女性を取り上げるより、どこにでもある兄弟の確執を描いた方がわかりやすいから、これは正解でしょう。

 純情な弟が恵梨に夢中になるのを心配して彼女に近づいた夏久は、逆に彼女のとりこになって弟を憎むようになる。彼は一方で恵梨を軽蔑し、憎みながらも、彼女の肉体に惹かれ、彼女を独占しようとする夏久。嫉妬で身を焦がし、頭に血が上った夏久を演じる裕次郎の芝居は、決して上手いとは思えないのですが、熱くなればなるほど、彼の肉体から発散されるオーラのようなものが増してくるという迫力がある。スターのもつオーラかな。

 春次が恵梨にのぼせ上がって行く様子も、この映画では的確に描かれている。ぎこちなく恵梨に接近してゆく春次に対し、彼女の方は最初から身体を投げ出している様子がじつに巧みに表現されているのにも感心します。ちょっと手を動かすとか、脚を組みかえるとか、そんな部分だけで、観客には恵梨が意外にすれた女であることがわかってしまうのです。当時はあからさまな性表現ができなかったため、あの手この手で人物の性格描写や心理描写をした結果なのでしょうが、こうした抑制された表現の生み出すエロチズムは、今の映画も学ぶ点が多いと思いました。今は何でもあからさまに描いてしまうから、かえって物語に深みがなくなってます。

 ラストシーンは当時は衝撃的だったんでしょうが、今観るとマンガだなぁ。ちょっと笑ってしまいました。


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