ピースキーパー

1998/05/29 KSS試写室
この手の映画を2度観るなんて、僕にしては珍しい。
2度観てもテーマは色褪せません。by K. Hattori


 前にも1度観ているのですが、雑誌に作品紹介記事を書くこともあって、締め切り直前に再び観ることにしました。ドルフ・ラングレン主演のB級アクション映画ですが、脚本はよくできているし、小道具のアイデアもぎっしり詰まっているし、テーマも明快だし、登場人物のキャラクターも面白いし、役者の芝居も水準以上。タイトルやモチーフが似ているので、『ピースメーカー』の二番煎じだと思われそうですが、これは『ピースメーカー』より何倍も面白いぞ。

 物語やアクション場面のアイデアにはいろいろな映画からの借用もありますが、それに手を加えてちゃんと自分の味にしている。借用の例ですが、たとえば『ピースキーパー』からはタイトルと核ジャックというアイデアを借り、『ザ・ロック』からは戦場に置き去りにされた軍人たちの反乱というアイデアを借りています。大統領が遊説先で愛人と落ち合う話は、『デーヴ』あたりにあったかな。主人公たちが通風孔に逃げ込むのは当然『ダイ・ハード』だし、その中での追いかけっこは『エイリアン3』です。面白い映画のなかから「いいとこどり」しているのですから、この映画が面白いのは当然かもしれない。また、この映画でしか観られない屋上カーチェイスの馬鹿馬鹿しさと迫力! 連なった屋根を次々ジャンプして行くというアイデアは、『ザ・シークレット・サービス』のイーストウッドとマルコビッチの追跡劇みたいですが、それを自動車同士でやるんだからすごい。

 この映画が単なるアクション映画で終わっていないのは、今までのアメリカ映画ではタブーだった「反核」という問題を扱っているからでしょう。『トゥルーライズ』や『ピースメーカー』に登場する核爆発の場面に、世界唯一の被爆体験を持つ国民として、複雑な気持ちになった人は多いと思います。これらの映画に欠けていたのは、核爆弾を落とされた者の「痛み」に対する共感です。『トゥルーライズ』のキノコ曇は対岸の花火であり、『ピースメーカー』のキノコ曇は「次に起きる核爆発の予兆」としての役割しか与えられていなかった。ところが、この『ピースキーパー』に登場する核爆発は、これらの無味乾燥な描写とは一味もふた味も違う。僕はこの映画ではじめて、アメリカ人が核の恐怖におののき、被害の大きさに苦悶の表情を浮かべるのを観ました。

 核兵器というのは、「暴力が生み出す恐怖で暴力を抑制する」という矛盾した兵器です。その矛盾は、どこかで必ずほころびてくる。この映画は、そんな「ほころび」を描いているのです。単なるテロリスト対ヒーローという図式ではない。もっと志が高いのです。

 つい先だって、インドとパキスタンが相次いで核実験を行い、世界中から非難を浴びています。特に被爆国である日本のマスコミの論調は、ヒステリックに思えるほどです。でも「核兵器はいけない」というお題目を百万遍となえるより、『ピースキーパー』の反核メッセージの方が力強いし、はるかに説得力があると思うぞ。

(原題:THE PEACEKEEPER)


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