素浪人罷通る

1998/05/30 近代美術館フィルムセンター
天一坊事件の主犯とされる山内伊賀亮を阪東妻三郎が熱演。
天一坊が本当に将軍御落胤だったという話。by K. Hattori


 享保の頃、将軍吉宗の御落胤を名乗り出た天一坊の事件をモチーフに、伊藤大輔監督・阪東妻三郎主演で描く昭和22年製作の時代劇。この作品は、伊藤監督が長年のスランプから脱した記念すべき作品として映画史に記録されている。どのくらい「長年」だったかというと、昭和10年の阪妻プロ作品『新納鶴千代』からだというのだから、じつに12年に渡る大スランプ。これはさすがに長い。それでも伊藤監督の才能を信じて、作品を撮り続けさせた人たちがいたんですね。伊藤大輔も偉いけど、それを支持し続けた人たちも偉い。

 「天一坊事件」は一連の大岡政談のひとつで、将軍家御落胤を騙る天一坊と山内伊賀亮の悪逆非道ぶりと、そのたくらみを南町奉行大岡越前守がいかに見破るかがクライマックスになっているそうです。『素浪人罷通る』では、これを「天一坊は本物の御落胤だった」という話に変え、阪妻演ずる伊賀亮は、若い天一坊を守ろうとする忠義の武士として描かれている。

 ひとりで江戸に出発した天一坊を追って、浪人やヤクザがみるみる群がり、あっという間に大名行列になってしまうあたりは面白い。天一坊本人の思惑とは別の部分で、周囲に人が集まるというのはありそうな話です。講談や芝居では、天一坊と伊賀亮が浪人たちを集めたことになっているようですが、この映画では徹底して天一坊を「罪無き者」として演出している。周囲の思惑に乗らされてしまった天一坊本人の非は、父恋しさゆえのものとしているのです。伊賀亮はそんな天一坊の気持ちがわかるからこそ、彼をみすみす殺してしまうのに忍びない。そんな義侠心が、阪妻の表情からは見えてくるのです。

 映画の第1の見どころは、言うまでもなく阪妻の堂々たる伊賀亮ぶりでしょう。ひとめ父に会いたいという若君の望みをかなえるべく、身を棄てて奔走する伊賀亮。大岡越前と対面しても少しも卑屈なところを見せず、誠心誠意思うところを伝えて、将軍と天一坊の面会を約束させるあたりは見事です。このあたりは台詞回しも歌舞伎調なので、芝居の「天一坊」を知っている人には、きっとなおさら面白いのでしょうね。僕は芝居に疎いのですが、なかなか見応えのある場面だと思いました。

 映画の第2の見どころは、火付盗賊改に追われた天一坊一味が、次々と捕まって行くところ。それまで控えめだったカメラの動きが、ここから俄然迫力を増してくる。「イドウダイスキ」の面目躍如です。中でも、屋根の上の伊賀亮に御用提灯が群がる場面はすごい迫力。これはサイレント時代の『御誂次郎吉格子』を再現したものでしょうか。屋根の上から下を見下ろすと、無数の御用提灯がゆらゆらと揺れているシーンでは、思わず背筋がゾクゾクしてきました。占領期の映画なので、立ち回りシーンは基本的にありませんが、この提灯のダイナミズムだけで、立ち回り2,3回分のカタルシスがあります。天一坊が落ち延びたと知った後、素直に縄を打たれる伊賀亮の姿がラスト。う〜む、かっこいいぞ。


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