愛を乞うひと

1998/06/01 東宝第1試写室
原田美枝子がひとり二役で母娘を演じる。暴力場面がすごい。
監督は『学校の怪談』の平山秀幸。by K. Hattori


 じつの母と娘の愛憎と葛藤の日々を、昭和20年代から30年代までの風景と現代との対比で描く人間ドラマ。我が子に理不尽な暴力を振るいつづける母親・豊子と、その娘で、成長して父親の遺骨を探すたびに出る照恵を、原田美枝子がひとり二役で演じている。原田の母親役というと『絵の中のぼくの村』が印象に残るが、今回はその良妻賢母ぶりからは想像ができないくらい、狂暴で残忍な母親を熱演。娘に暴力を振るう場面を見て、娘の友達がおしっこちびっちゃう場面があるのですが、それも思わず納得できてしまう鬼ババぶりです。

 娘の視点から物語を追う形になってはいますが、実質的な主人公は母親の豊子でしょう。彼女のような怪物がなぜできてしまったのか、この映画には一切の説明がありませんが、原田美枝子の演技はそうした疑問を吹き飛ばす迫力がある。「そんな母親いるはずない」という批判の前に立ちふさがり、「豊子はここにいる」「わたしがその豊子だが文句あるか!」とすごい剣幕でしかられてしまうような芝居。彼女の台詞がヒステリックな色に染まりはじめると、映画を観ているこちらまで「ああ、また殴られる……」とドキドキしてしまう。照恵は豊子の暴力にまったく抵抗せず、ただ卑屈な笑顔を浮かべているだけなのですが、それがいじらしく見えたのは前半だけで、途中からはこの母娘の関係のいびつさにハラハラし、いつ決定的な破局が訪れるかに気をもんでばかり。

 とにかく、豊子の暴力がすごいのです。小学生ぐらいの娘をつかまえて、ひっぱたく、殴る、蹴飛ばす。ハタキで、ほうきで、物差しでぶん殴る。髪の毛をつかんで部屋中を引きずり回す。手のひらに煙草の火を押し付ける。壁や柱に頭を打ちつける、柱にくくりつけて折檻する。腹を蹴り上げられた娘が吐けば、吐瀉物の上に娘の顔をこすりつける。最後は階段から突き落とそうとする。これで死ななかったのは奇跡だと思われるような、連日の暴力の洗礼。その暴力も、何か理由があってのものではないのです。まさに理不尽としか言いようがない。こんな母親に比べたら、パチンコに熱中して車の中で子供を殺してしまう昨今の母親の方が「理由があるだけマシ」に思えてきてしまうほどです。

 予告編はかなり前から劇場にかかっていますが、音楽といい、芝居の断片といい、すごく暗そうですよね。実際、映画も重苦しい題材ではあるのですが、観終わった後の印象はそんなに悪くない。映画の構成としては『ニュー・シネマ・パラダイス』と同じだし、後味も似たようなものだと思う。豊子一家が転々として行く家の描写など、時代色をふんだんに盛り込んだ美術の効果もあって、これはただ暗いだけのドラマには終わってません。

 照恵の娘を演じた野波麻帆がよかった。重くて暗い方向に流れがちな物語が、彼女のおかげでずいぶん救われてます。でもやはり、この映画は原田美枝子があってこその映画でしょう。たぶん彼女は来年の各映画賞で、いくつかの女優賞を取ることになると思います。


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