オープン・ユア・アイズ
エリーの不思議な世界

1998/07/08 東京アイマックスシアター
ひとりの少女が古い屋敷で出会うミクロの世界の不思議。
3D映画はやっぱり頭が痛くなる。by K. Hattori


 アイマックス3Dのために作られた、39分の劇映画。発明家の祖父が旅行中の留守番をするため、湖畔の祖父の家を訪れた少女エリーと両親。エリーは家の中で、祖父が自分のために残してくれた秘密の地図を見つけ、家の中を次々に探検して行く。やがて彼女は、虫眼鏡や顕微鏡で覗く、ミクロの世界に魅了されることになる。

 家を留守にしている祖父の声が、ずっとナレーションのように流れ、エリーがその声と対話するように物語が綴られて行く。この手法自体が悪いとは思わないが、ちょっと説明調になりがちな部分もあった。オリジナル版ではナレーションをジェームズ・ガーナーが務めているのだが、今回は日本語で鑑賞。3Dメガネのスイッチを押せば原語も聞けるんだけど、それだと映画の意味がわからなくなっちゃいますからね。僕って、英語が苦手だから……。ひょっとしたら、原語のナレーションの方が説明調が薄かったのかもしれません。

 物語には、少しひねりが足りなかったように思う。家の中で次々に鍵を見つけるというミステリー仕立てにしてありますが、最終的な到達点がわからないままの鍵探しは、それ自体が目的化してしまい、大きなドラマにならない。鍵探しのエピソードもやけにあっさりと流してしまい、鍵が偶然見つかったように感じられるシーンや、鍵がひとりでに姿を現すようなシーンがあった。これでは全体に、ノッペリした物語になってしまう。やはり鍵探しで物語の要所要所に小さな目的意識と達成感を作りながら、物語を先へ先へと進めていってほしかった。最初にエリーの手元には地図に相当する本があるのだから、これを手がかりに、最終的な目的地にある宝物が何なのかを、あらかじめ暗示してほしかったとも思う。それによって物語の方向性が決まり、ミステリアスなムードの中にも、目的意識がはっきりと生まれてくるはず。

 これはアイマックス3D方式の宿命かもしれませんが、暗い場面になると、画面を注視しつづけているのが困難になる。薄暗い部屋の中で、黒い犬が歩きまわるシーンなど、薄ボンヤリとした暗がりの中で、薄ボンヤリとした黒いかたまりがウロウロしていて、しかもそれが立体的に見えるという、かなり頭の痛くなる映像だった。3D方式では、画面にピントが合わずにぼんやりとしている場面でも、そのぼんやりとした部分が立体的に見えてしまう。こんな映像は現実の世界で人間の目に触れることが絶対にないわけで、見ていると自分の視覚神経がそれらの映像に拒絶反応を起こしてしまうのです。

 アイマックス方式も基本的にはフィルムメディアですから、特にこの映画のように接写が多い作品では、被写界深度の関係からフォーカスが甘くなる点も仕方がないのかもしれない。でも、3D映画の基本はパンフォーカス。そのためには、もっと画面に光量が必要です。3D映画には、一般映画と別のライティング技術があってもいいと思う。もっと全体に光を回して、シャドウ部もくっきりクリアな映像にしてほしい。

(原題:THE HIDDEN DIMENSION)


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