岸和田少年愚連隊
望郷

1998/07/17 松竹第1試写室
中場利一原作の『岸和田少年愚連隊』シリーズ第3弾。
今回はリイチの小学生時代を描く。by K. Hattori


 中場利一原作の『岸和田少年愚連隊』シリーズ第3弾。第1作で中学から高校にかけて、第2作で高校以降を描いたシリーズですが、今回は時間をさかのぼり、リイチや小鉄の小学校時代を描いています。監督は前作『岸和田少年愚連隊・血煙り純情篇』と同じ三池崇史。『アンドロメディア』という映画未満作品にがっかりさせられた三池ファンも、この作品なら満足できるでしょう。少なくともこれは、ちゃんと映画の体裁になっている。

 シリーズを通しで観ている観客にとっては、この映画で小鉄やサダの少年時代を観られるのは楽しいし、笑福亭松之助がずっと祖父の役で出ているのも安心感がある。主人公リイチを演じているのは、これが映画初出演の長田融季。烏丸せつこが母親役を好演しているのが意外な拾い物で、逆に竹中直人の父親役はもうひとつしっくりはまっていなかった。僕はこのシリーズの魅力を、本物の関西人が喋る、本物のコテコテ関西弁が持つ面白さだと思っている。それが同じ中場利一原作でも、『一生、遊んで暮らしたい』や『どつきどつかれ』にはない、大きな魅力になっているのです。ところが、竹中直人は関西人じゃないから、やっぱり台詞回しがちょっとどこか変なんだよね。烏丸せつこは滋賀県出身なので、関西弁の骨格だけはしっかりと身についてる。(もちろん、滋賀の言葉と岸和田弁は、ぜんぜん別物ですけどね。)

 今回の映画は、シリーズの過去2作品に比べると、物語の焦点がイマイチ定まっていない弱さがある。1作目は主人公たちの悪ガキぶりを徹底して描いた痛快作だったし、2作目は主人公たちの恋愛話を通じて、否応無しに大人の世界へと足を踏み入れて行くほろ苦い青春像を描いていた。でもこの3作目は、一体全体何が描きたかったのだろうか。プレス資料には「岸和田版スタンド・バイ・ミー」なんて書いてあるけど、この映画に登場する少年たちに、それだけで勝負できる魅力はないでしょ。むしろこの映画で話の中心になるのは、リイチの両親の姿、特に母親の姿だと思いました。こうしてリイチの話と両親の話という「2つの中心」を持ってしまったがゆえに、この映画はどっちつかずの印象になってしまう。少年たちの演技不足を考慮すると、もっと両親の側に話を絞り込んでいってもよかったような気がする。せっかく竹中直人が出ているのに、これでは単なるエキセントリックなオヤジだもんね。両親の関係にもう一歩踏み込んで行けると、この映画はもっと面白くなったと思う。

 この映画は、男と女のモジャモジャした関係がまったくわかっていないリイチと、モジャモジャを通り越してしまった両親、モジャモジャ真っ盛りの担任の先生という、3パターンの人物配置がある。リイチもあと少しでモジャモジャがわかる年頃になるのですが、思春期前のこの時期は、わからない子にはそれがぜんぜんわからない。映画には物語とまったく関係なく、思春期に差し掛かったリイチと同級生の少女が登場しますが、彼女の存在が、この微妙な時代を象徴しているのです。


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