シークレット・エージェント

1998/08/20 ユニジャパン試写室
ジョセフ・コンラッドの「密偵」を完全映画化した文芸作品。
人間の持つ弱さがすべてを不幸にする。by K. Hattori


 映画『地獄の黙示録』の原作「闇の奥」の作者として知られる、イギリスの小説家ジョセフ・コンラッド。彼の作品は、船員をしていた自分自身の体験をもとに書かれた海洋小説と、晩年に書かれた政治小説に分けられる。前者の代表作が「闇の奥」や「ロード・ジム」であり、後者の代表作がこの映画の原作となった「密偵」だ。同じ原作をヒッチコックが『サボタージュ』として映画化しているため、プレス資料などでは今回の映画を『サボタージュ』のリメイクと表現しているが、これは必ずしも正確ではない。むしろヒッチコックが映画化にあたって削ってしまった原作のディテールを、より忠実に映画化したのがこの作品なのだ。位置付けとしては、コッポラ監督の『ドラキュラ』やケネス・ブラナー監督の『フランケンシュタイン』『ハムレット』などに近いと思う。

 ヒッチコックの『サボタージュ』が、陰謀と殺人と疑惑と復讐を描いたサスペンス映画であるのに対し、『シークレット・エージェント』がテーマにしているのは、政治の渦の中で押しつぶされてしまう個人の悲劇だ。この映画にヒッチコック風のスリラーやサスペンスを期待すると、それは大きく裏切られて「なんだつまらない」ということになってしまう。これは弱い人間が状況に押し流されて行く不幸や、人間と政治の葛藤を描いたドラマなのだ。監督・脚本は『危険な関係』『ジキル&ハイド』『太陽と月に背いて』などの脚本で知られ、『キャリントン』で監督デビューを果たしたクリストファー・ハンプトン。製作はハンプトンと『危険な関係』『ジキル&ハイド』で組んだことのあるノーマ・ヘイマン。どう考えてもこのふたりに、サスペンス映画を作る意図があったとは思えない。彼らは最初から「文芸作品」のつもりでこの映画を撮っているのです。

 とことん不幸になって行くヒロインのウィニーを演じているのは、やはり文芸作品『哀愁のメモワール』でもとことん不幸な女を演じたパトリシア・アークェット。この女優は幸薄い女を演じると本当にハマる人ですが、今回も思いっきり不幸な役を演じてます。ウィニーの夫で、表向きはアナキスト、裏では警察と某国の二重スパイをしているヴァーロックを演じているのが、『従姉妹ベット』でも好演していたボブ・ホスキンス。この映画は彼が製作総指揮も担当するほどの入れこみようで、『サボタージュ』では単なる悪役だったヴァーロックという男に、人間らしい陰影を与えています。

 この映画で登場人物たちが不幸になって行く元凶は、彼らの精神的な弱さによるところが大きい。ウィニーもヴァーロックも、弱い人間であるがゆえに不幸になる。しかしこうした弱さは、人間には克服できないものなのです。ロビン・ウィリアムス扮する爆弾魔が大言壮語を吐いた挙句に自滅してしまうことが、それを象徴的に表している。今から百年以上も前のロンドンという、特殊な世界を描いた物語ですが、「人間の弱さが不幸を招く」というテーマは、現代にも通じるのです。

(原題:The Secret Agent)


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