なぞの転校生

1998/08/24 メディアボックス試写室
かつてテレビドラマ化もされた眉村卓のジュヴナイルSF。
脚本がテーマを広げすぎて失敗した。by K. Hattori


 大昔にNHKの少年ドラマシリーズで見ていた眉村卓原作のジュヴナイルSFが、映画になって戻ってきた。主人公を高校生の少女に変更し、原作の筋も大幅にいじっているようです。僕としてはこうした変更も一向に構わないと思うのですが、映画はテーマが絞りきれずに散漫なものに仕上がっていると思いました。監督は『ウルトラマンゼアス2』や『ウルトラマンティガ&ウルトラマンダイナ』の小中和哉。脚本は『PERFECT BLUE』の村井さだゆき。主演はテレビドラマやバラエティーに出演している新山千春と、『バウンスkoGALS』で主演3人の少女のひとりラクちゃんを演じた佐藤康恵。僕は新山千春という女の子をぜんぜん知らないのですが、佐藤康恵にはちょっと期待していた。でも内容は「う〜ん、これは困った」というもの。なぜでしょう。

 僕はこの映画から、明確なテーマを読み取れなかった。佐藤康恵が演じている岩瀬真祐未は、突然始まった核戦争から逃れるために、母親とふたりで次元を超えて別の世界にジャンプしている「次元放浪者」です。彼女はもうひとりの主人公・香川翠のクラスに転校してきた初日「世界が滅びなければそれでいい」と挨拶して、クラス中を唖然とさせている。こうした設定や台詞を見る限り、この映画のベースには「核戦争への恐怖」があるべきなのですが、映画は途中から別方向へねじれて行く。真祐未は翠のいる学校を「病院みたい」だと形容し、やがて映画は巧妙な管理社会に抵抗するレジスタンスの物語へと変貌するのです。いったい核戦争はどこに行ってしまったんでしょうか。僕にはさっぱり理解できません。

 この映画では、主人公たちの人間関係にもねじれが見えます。友人たちと表面的には愛想よく付き合いながらも、どこかしっくり行かないのを感じている翠が、転校生の真祐未と意気投合して親友になるまでが、物語の序盤です。彼女たちは紆余曲折ののち、最後は泣く泣く別れるのですが、この映画ではそうした「別離」の辛さや悲しさが心理的なクライマックスになっていない。彼女たちが新しい友情から何を得たのかがまったく伝わってこないため、別離で友を失う辛さも伝わらないのです。僕は最後の愁嘆場で、白けかえってしまいました。

 パラレルに存在する「可能性の数だけの世界」を次々にジャンプして行く少女たちの描写が、この映画のSFとしての見せ場のはずです。ところが僕はこの映画を見ていても、彼女たちがいつどこで、どんな世界にジャンプしたのかがさっぱりわからなかった。終盤は世界同士が融合して混沌とした世界になってしまうわけですが、「混沌」を描くには、その前の「整然とした平行世界」を描いておかなければ効果が半減です。

 この映画では、薄暗い室内で高感度フィルムを使って撮影したような、ハイコントラストのざらついた画面がほとんどです。これでは相手が10代の少女たちでも、肌がざらついて写ってしまう。佐藤康恵なんて、『バウンスkoGALS』とは別人みたいにブスでした。


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