完全なる飼育

1998/10/07 メディアボックス試写室
竹中直人が小島聖を誘拐してアパートの部屋で飼育する。
和田勉監督の演出意図が見えない。by K. Hattori


 小島聖のおっぱいが見たいとか、北村一輝の怪演ぶりが見たいという動機がない人にとっては、どう考えても面白いとは思えない映画。文具小売業者の営業をしている中年男が、ひとりの女子高生を誘拐してアパートの部屋に監禁し「飼育」しはじめる。「完全な愛がほしい」と言う男からはじめは逃げようとしていた少女だったが、やがて男に親近感を感じ、彼と共にいることに安らぎを感じるようになる。ふたりは温泉に旅行に出かけ、戻ってきたときから男と女の関係になる。だがそのしばらく後、少女は警察に保護され、男は逮捕。ふたりの蜜月はあっという間に終わってしまうのだ。この少女を演じているのが小島聖で、男を演じているのが竹中直人。北村一輝は隣の部屋の大学生役。原作は松田美智子のノンフィクション・ノベル。これをベテランの新藤兼人が脚色し、元NHKのディレクター和田勉が監督した。

 物語はいたって単純だ。だが僕には、映画の作り手たちが、この単純な物語を通して何を描こうとしたのかが理解できない。中年男はなぜ女子高生を誘拐したのか。なぜ他の女子高生ではなく、彼女でなければならなかったのか。それがそもそもわからない。これは彼の「愛」の核心部分に関連する重要な項目なのだが、この映画の中ではすっかり無視されている。誘拐された女子高生が逃げだそうとしないのも疑問。途中からは男に情が移ったにしろ、最初の1週間ぐらいはあの手この手と、逃げ出す算段を考えてしかるべきです。それが劇中にないと、映画を観ているこちらは少し白けてしまう。「逃げ出したくても逃げられない」ことに観客が十分納得した上で、次のエピソードに入っていってほしいのに……。

 この映画では、セックスが大きなテーマになっているのはわかる。「少女が女になる」部分が、この映画の大きな芯になっているのです。でも和田勉の演出は、最初からお色気過剰で、クライマックスがどこかわかりにくい。この映画で少女の性を描くのであれば、前半は抑制した清楚なタッチで描き、中盤以降で彼女が「女」へと変貌してゆく様子を見せるか、逆に最初から少女の中に芽生えていた女の部分をしっかりと描き、それがずっと膨張し続け、あるきっかけを通じてすべてが堰を切ったようにあふれ出すように見せた方がよかったと思う。ところがこの映画では、誘拐されてきた少女が男を挑発するように最初から脱いだりキスをせがんだりする。脚本としてはこれでも構わないのですが、前半の「少女」と後半の「女」を描き分けるためには、キスの仕方や脱ぎ方に変化をつけなければならない。でもこの映画には、それがまったく見られないのです。

 中年男を演じた竹中直人は微妙な表情の変化で人物の内面を演じているのだが、この映画では彼の持ち味や魅力が10%も出せていない。映画の後半はともかくとして、前半では彼が映画全体をリードして行かなければならないんだけど……。これは監督の演出プランが中途半端だからこうなる。役者の責任ではありません。


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