AQUARIUM
アクアリウム

1998/11/18 ヨコシネディーアイエー試写室
魚とおしゃべりできる少女を主人公にしたファンタジー映画。
何が描きたいのだか、さっぱりわからない。by K. Hattori


 金魚や水族館の魚とおしゃべりできる少女を主人公にしたファンタジー映画。監督は『黄昏のアインシュタイン』を撮ったことのある蜂須賀健太郎。僕は監督とは直接の面識がないのですが、以前同じ会社で世話になった先輩が美術スタッフのひとりがだったりする。そんなわけで「ぜひ観て感想を聞かせて」と言われていたんですが……。ごめん神田さん、つまんないや。少なくとも、僕にはどこがいいんだか、まったく理解できませんでした。原作の漫画を読んでいないので、どこをどう映画用に脚色したのかはわかりませんが、これは脚本が悪いと思います。

 中学生から高校生という多感な時期を迎えた少女が、いろいろな事件を通して成長して行く物語だということはわかります。でも彼女がどんな問題を抱えていて、それがどう解決したのか、どんな悩みを持っていて、それがどう解消したのかまったくわからない。魚と話ができるという彼女の不思議な能力が、彼女の成長にどのように関わって行くのかが不明確で、話がどの方向に進んで行くのかさっぱり見当がつかないのです。

 映画の中には、じつにいろいろなモチーフが登場します。魚から魚、魚から人間へと生まれ変わって行く命の連鎖。死んでしまったイルカの話。主人公と母親の関係。主人公が姉のように慕う叔母との関係。主人公と水族館に勤める青年との関係。そして、主人公と金魚老人の関係……。これらがゴチャゴチャと映画の中に詰め込まれているものの、エピソード同士が有機的につながって大きなドラマを盛り立てることはない。結局のところ、この映画のテーマは何なのでしょう。生命の輪廻転生でしょうか。環境問題でしょうか。少女と家族の物語でしょうか。あるいは、少女と金魚の交流でしょうか。僕には最後までこの映画が何を訴えているのか、観客にどんな感動を与えようとしているのかが理解できませんでした。

 この映画は全編をデジタルビデオで撮影し、コンピュータを使って編集作業をしています。そのせいか、画面をいくつもオーバーラップさせたり、人物を異なった背景に切り抜き合成したりしたカットがやたらと多い。デジタルビデオを使うと、こうした効果がフィルムより格段に安上がりに実現できるのです。この映画では、映画全体の半分ぐらいは、何らかの合成が行われているようにも見えます。正直言って、これが非常に見苦しい。特に水中のイメージシーンは最悪だった。同じテーマ曲が繰り返し流れるのも嫌になるし、コポコポと泡のような音を入れるのも下品だと思う。このシーンの安っぽさは、NHKの「おかあさんといっしょ」と同レベル。中心にいるのがやたらと気安くしゃべるミッキー・カーチスなので、ノリはヒッピーたちの竜宮城だ!

 主人公の入り込むイメージの世界と、現実の世界の境界線が不明確なため、境界を乗り越えて行くファンタジー映画の醍醐味がない。ファンタジー映画としても、青春映画としても、稚拙な作品だと思う。


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