大いなる完
ぼんの

1998/11/25 東映第2試写室
田中角栄伝と宮本武蔵を足して2で割ったような物語。
作りは安っぽいが話は盛り上がる。by K. Hattori


 日本の戦後を代表する政治家・田中角栄をモデルにした本宮ひろ志のマンガ「大いなる完」を、高橋伴明が映画化。貧しい百姓のせがれが土建屋を足がかりに立身出世し、最後は一国の宰相にまで上り詰めるという大まかなアウトラインは実録風なのだが、田中角栄とこの映画の主人公である鉄馬完はまったくの別人。本宮ひろ志の田中角栄に対する傾倒ぶりは事実だが、この原作は田中角栄にインスピレーションを受けて作られた、まったくのフィクションと考えた方がいいだろう。名前も違うし、出身地も新潟から熊本に変えられている。主人公を巡るふたりの女のエピソードや、同じ地元で終生のライバルになる男の存在など、物語作りのためにドラマチックに演出されている部分も多い。この映画の鉄馬完には、田中角栄と同じぐらい、吉川英治の宮本武蔵が大きく影響を与えている。終生のライバル、主人公につきまとう女ふたり、田舎の荒くれ坊主が世の中で磨かれて大人物になる様子、人生の師とも言える僧侶の存在など、宮本武蔵と鉄馬完の共通項は多い。ちなみに本宮ひろ志は、「宮本武蔵」をマンガ化したこともあったはずだ。

 上映時間2時間半という長尺映画で、主人公の完が故郷を出奔してから土建業界で大成功し、戦後に国会議員になるまでを描く。最後は主人公が死んで、彼の娘が後継者として議員に立候補するまでを描くのだが、中心になるのは戦前から戦後にかけての10数年間。しかしいかに2時間半をかけようとも、いかにキャスティングを贅沢にしても、低予算映画特有のショボさはぬぐえない。たとえばロケしている建物や車両に時代感がまったくないのは、展示してあるものに撮影用に手を入れることができないからでしょう。地主の家の玄関前に、一面タイルが貼ってあるのは白けるよ。これはタイルを一度全部派がしてから砂利をしくか、タイルの上に盛り土をして砂利をまくかしてほしかった。たぶんきちんと予算があればそうするのでしょう。でもその予算も手間もかけられない映画なんでしょうね。同じことは汽車の客車にも言える。一等二等の区別がなく、全部が布張りのシートなのはおかしいです。これも木製シートを作る余地がなかったのか、別の場所で借りたり撮影したりする余裕がなかったのでしょう。全編、こんなのばっかり。

 僕が原作で一番面白かったのは、綿の買い付けに問屋と質屋を往復するくだりなのですが、この映画ではそれよりも、後半の選挙戦の場面が面白い。文字通り現金をばらまいての選挙戦で、今はとても真似できないものですが、あのお祭り騒ぎには血が騒ぎます。主人公が農民たち相手に民主主義の意味について演説する場面も、選挙や政治に無関心な現代人に向けられている言葉のように感じられます。「なぜこんな話を今頃」と思いながら観た映画ですが、むしろ元気のない今だからこそ、戦前戦後の動乱期に「働いてプライドを取り戻せ!」という主人公に共感してしまうのかもしれない。安っぽい映画ではありますが、観ると少し元気が出ます。


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